昨昭和55年は、60年に一度廻ってくる庚申年であった。それを期して昨年から今年にかけて庚 申特集を組む研究誌が見られた。昨年末に発行された『日本の石仏』第16号も「庚申年」を特集し ている。上伊那郷土研究会の『伊那路』では第24巻4号と11号の2号を、長野郷土史研究会の『 長野』では第94号を庚申特集号に当てている。
群馬歴史散歩の会から発行されている『群馬歴史散歩』第41号(昭和56年刊)は、そうした庚申 特集の1冊である。従来から群馬県内に庚申層塔が多いことは知られていた。しかも分布の集中が見 られるのは利根地方といわれながら、その実、断片的にしかわからない状態であった。ところが同誌 に載った阿部孝氏の「利根沼田の層塔庚申塔」によって、その空白が埋められた感じがする。さらに 同誌特集には、
小花波平六 | 「群馬の庚申信仰史」 |
椎名誠男 | 「一風変わった庚申塔」 |
三原宗作 | 「子持村野庚申塔」 |
があり、これらの論考や報告の中に庚申層塔が含まれているために、群馬県内の状態を知るのに都合 がよい。
以上にあげた資料の他にも、これまで発行された文献の中には庚申層塔にふれたものがある。私の 手元にある、
清水長輝 | 『庚申塔の研究』 | 大日洞 | 昭和34年刊 |
大護八郎 | 『路傍の石仏』 | 真珠書院 | 昭和40年刊 |
五十嵐昭雄 | 「大間々町の庚申塔について」 | 『群馬歴史散歩』第11号 | 昭和52年刊 |
大護八郎 | 『石神信仰』 | 木耳社 | 昭和52年刊 |
を加えて、次ぎに掲げる仮年表を作ってみると、いろいろとわかってくる。まず、仮年表を示すと、 次の通りである。
No. | 年銘 | 層数 | 特徴 | 所在地 |
---|---|---|---|---|
1 | 天文5年 | 群馬県利根郡白沢村塩ノ井 | ||
2 | 承応3年 | 3層 | 二猿・蓮華「奉安置庚申像」 | 群馬県利根郡新治村 泰寧寺 |
3 | 承応4年 | 群馬県利根郡川湯村湯地 | ||
4 | 明暦2年 | 5層 | 日月・二鶏・二猿「庚申供養」 | 東京都調布市深大寺町城山 |
5 | 明暦2年 | 5層 | 日月・二鶏・二猿 | 群馬県沼田市鍛冶町 正覚寺 |
6 | 明暦3年 | 5層 | 日月・二鶏・二猿・蓮華 [註1] | 群馬県利根郡月夜野町真政寺 |
7 | 明暦3年 | 5層 | 二猿 | 群馬県利根郡白沢村 雲谷寺 |
8 | 明暦3年 | 5層 | 二鶏・二猿 | 群馬県吾妻郡中之条町中村 |
9 | 明暦3年 | 群馬県利根郡白沢村尾台 | ||
10 | 明暦3年 | 「庚申供養」 | 群馬県沼田横塚町 神社 | |
11 | 明暦3年 | 5層 | 蓮華 | 群馬県利根郡白沢村峯堂 |
12 | 明暦4年 | 5層 | 日月・二鶏・二猿・蓮華 | 群馬県利根郡月夜野町真政寺 |
13 | 万治2年 | 5層 | 日月・二鶏・二猿・蓮華 | 群馬県利根郡月夜野町如意寺 |
14 | 万治2年 | 5層 | 日月「南無阿弥陀佛」 | 群馬県利根郡白沢村平出神社 |
15 | 寛文9年 | 5層 | 日月・二鶏・二猿「庚申待供養」 | 群馬県利根郡昭和村 雲昌寺 |
16 | 寛文10年 | 3層 | 日月・二鶏・二猿・中尊4手青面 | 群馬県利根郡月夜野町下牧 |
17 | 寛文10年 | 3層 | 日月・二鶏・二猿・中尊4手青面 | 群馬県利根郡月夜野町牧野社 |
18 | 寛文推定 | 3層 | 日天・二鶏・二猿・中尊4手青面 | 群馬県利根郡月夜野町牧野社 |
19 | 延宝1年 | 5層 | 二鶏・二猿「奉起立宝塔庚申供養 | 群馬県北分間郡榛東村柳沢寺 |
20 | 延宝1年 | 5層 | 二鶏・二猿「奉造立宝塔庚申供養 | 群馬県北分間郡榛東村柳沢寺 |
21 | 延宝4年 | 三猿 | 群馬県利根郡片品村土出 | |
22 | 貞享3年 | 5層 | 「奉讃青面金剛」 | 群馬県利根郡片品村武尊神社 |
23 | 元禄2年 | 3層 | 日月・如来 | 群馬県利根郡月夜野町下牧 |
24 | 元禄3年 | 5層 | 「奉待庚申神講衆」 | 千葉県市川市柏井町 土神社 |
25 | 元禄5年 | 群馬県利根郡昭和村川額 | ||
26 | 元禄6年 | 3層 | 日月・二鶏・二猿「奉建庚申塔」 | 群馬県利根郡新治村箕輪天神 |
27 | 宝永2年 | 3層 | 日月・二鶏・二猿 | 群馬県吾妻郡中之条町宗堂寺 |
28 | 宝永4年 | 5層 | 群馬県山田郡大間々町浅原 | |
29 | 正徳3年 | 3層 | 「念佛庚申供養塔」 | 群馬県利根郡月夜野町下牧 |
30 | 享保3年 | 5層 | 「妙法蓮華経」 | 群馬県沼田市坊新田町妙光寺 |
31 | 宝暦2年 | 5層 | 群馬県北群馬郡子持村興福寺 | |
32 | 明和2年 | 7層 | 「南無妙法蓮華経」 | 群馬県沼田市坊新田町妙光寺 |
33 | 明和2年 | 群馬県利根郡新治村猿ケ京 | ||
34 | 明和4年 | 7層 | 群馬県沼田市沼須 | |
35 | 寛政12年 | 5層 | 群馬県北群馬郡子持村寄島 | |
36 | 寛政12年 | 群馬県利根郡白沢村生枝 | ||
37 | 寛政12年 | 日月・鶏・猿 | 群馬県利根郡白沢村岩室神社 | |
38 | 安政4年 | 群馬県山田郡大間々町 | ||
39 | 年不明 | 群馬県安中市西上秋間庚申塚 | ||
40 | 年不明 | 5層 | 二鶏・二猿 | 群馬県勢多郡粕川村月田 |
41 | 年不明 | 3層 | 日月・二鶏・三猿 | 群馬県北群馬郡子持村十二社 |
42 | 年不明 | 5層 | 群馬県北群馬郡子持村双林寺 | |
43 | 年不明 | 3層 | 「奉造立庚申供養」 | 群馬県吾妻郡吾妻町金井墓地 |
44 | 年不明 | 4層 | 三猿 | 群馬県利根郡月夜野町和名中 |
45 | 年不明 | 3層 | 二鶏・三猿 | 群馬県利根郡利根村 海蔵寺 |
46 | 年不明 | 群馬県利根郡昭和村川瀬 | ||
47 | 年不明 | 3層 | 群馬県利根郡水上町平出 | |
48 | 年不明 | 4層 | 群馬県利根郡片品村東小川 | |
49 | 年不明 | 3層 | 群馬県利根郡片品村 大円寺 | |
50 | 年不明 | 4層 | 月天・二鶏・三猿・蓮華 | 群馬県利根郡新治村 海円寺 |
51 | 年不明 | 群馬県利根郡新治村東峯 |
資料の制約があって、細部が不明な塔があるために、重複や誤認が予想される。また、ここに洩れ た塔も考えられるから、今後の調査によって補正していきたいが、これによって関東地方の庚申層塔 がどのような状態にあるのか、大体の傾向がうかがえる。
まず、分布の特徴は、群馬県、特に利根郡を中心として県北部に集中している。群馬以外では、東 京都千葉に各1基の分布がある。このうち東京の塔は、茶室の庭に置かれており、元からあったもの ではない。千葉の1基は、外形上からも群馬とは系統を異にするから、東京の1基は、系統の同じ群 馬から移された塔と推測される。
さて造立年代から庚申層塔を見ると、ほぼ庚申石祠と同じような傾向が見られる。つまり、青面金 剛の普及しない時期、庚申層塔の場合には、承応期から寛文期にかけての造立が多い。そして青面金 剛の刻像塔が各地で建てられるようになる元禄期より建塔が減少している。ただ庚申層塔の場合は、 調査の不備もあって、造立年代不明の塔がある点を考慮しなければならないが、三原宗作氏の報告に よると、子持村寄島の5層塔には「明暦三年丁酉建之塔天明三年浅間山流失之残此度供養之寄島中寛 政十二年庚申十一月吉祥日」と刻まれているから、年代の新しい層塔の中には、再建塔が含まれてい る可能性がある。
庚申層塔については、私自身の調査数が少ないから、まだ層数と造立年代との結びつきに相関関係 があるかどうか、はっきりしたことはいえないが、今年(昭和56年)6月31日に調査した次の塔 の場合には、
年銘 | 層数 | 所在地 |
---|---|---|
明暦3年 | 5層 | 月夜野町真庭 真政寺 |
明暦3年 | 5層 | 同右 |
万治2年 | 5層 | 同町下津 如意寺 |
寛文9年 | 5層 | 昭和村川額 雲昌寺 |
寛文10年 | 3層 | 月夜野町下牧 小堂 |
寛文10年 | 3層 | 同町下牧 牧野神社 |
寛文(推定) | 3層 | 同右 |
の7基で見る限りでは、5層塔が古く、3層塔が新しいという結果が出ている。また、後の下牧の3 基には、4手青面金剛像を浮彫りした中尊を4層目に入れている点が注目される。もしその中尊が造 立当時のものであるならば、青面金剛の普及を示す例であり、共存していたことになる。
この仮年表は、私の集められる資料をともかくまとめたものである。調査した塔は、私の判断を優 先させたが、文献間の差異は信頼できる資料によった。しかし、仮年表を見て気付かれると思うが、 中世年号の庚申層塔には疑問がないわけではない。私としては、寛文年間の塔ではないかと推測する が、調査しないで軽々に断定できないの資料通りに示した。その他にも、はたして庚申層塔といえる かどうか判断の下しようのない塔も見られるが、報告者の通りに記した。
そうした個々の問題はあるにしても、断片的な資料をも組み込んで一表にまとめあげてみると、趨 勢が読み取れる。これを土台に実地調査を行えば、実体がつかめる。ただ広範囲にわたるので多くの 方々のご協力が必要なので、仮年表を作って発表した次第である。庚申層塔の多い群馬には、日本石 仏協会の支部が結成されており、熱心な研究者が多いと聞いている。地元の地の利を生かして調査・ 研究をぜひ進めていただきたい。
昭和56年8月17日 記
『日本の石仏』第24号(日本石仏協会 昭和58年刊)所収