庚申塔物語

庚申塔年表を作ろう

庚申塔年表を作ろう

最近、友人から或る雑誌をいただいた。それには、G県某町にある700基近い庚申塔を調査され た方の論考が載っている。県下現存最古の元亀4年(1573)石幢庚申塔を始め、全国的にみても 研究者が注目する鶏や猿の初出と目される寛永13年(1636)笠付塔(未調査ながら干支が違っ ているし、塔形から考えて造立年銘に疑問が残る)、さらに塔形の変化をとらえた数表、添付された 塔の写真は目をたのしませてくれる労作である。こうした諸点、また紙面の都合で単なる紹介だけに 終わってしまったのは残念だが、庚申塔祈祷文は、この町、さらにはその周辺ばかりでなく、他の地 域で研究を進める者にとっても非常に有益である。その町内の調査報告には敬意を表したい。

しかし、高い評価を与えられる内容を持ちながら、一方では極めて低い評価しかできない部分も残 している。このために全体として割り引かれた評価が下される恐れが多分にあり、肝心の部分も疑問 視されかねない。まことに惜しいことである。問題になる点はどういう所かといえば、頁順に書き抜 いてみると、

  • 「石幢形式は最古の庚申塔の形式」
  • 「全国的に寛文年間に初めて青面金剛という言葉があらわれるので、これより古い像はありません」
  • 「日本で最古の庚申塔は大永七年(一五二七の造立です」)
  • 「庚申塔に青面金剛と刻むのは、全国的に考えても寛文年間に二〜三あるだけです」
  • 「一六六〇〜七〇年代の寛文延宝頃青面金剛を庚申様ときめるのですから、この頃青面金剛の像が作られた場合は全国的に注目されるものです。驚くことに延宝八年(一六八〇)の庚申年に町内に二基の青面金剛像が立てられています。前記元亀四年の庚申石幢が全国数番目の古塔であるとともに、この青面金剛像も亦、全国屈指のふるさであります」

などがあげられる。これらの諸点は、つまるところ最古の庚申塔と寛文以前の青面金剛刻像塔に絞られるだろう。

前記の問題点を含めた6項目について、私は論考を書かれた方に質問の手紙を出した。現存最古の 庚申塔を大永7年石幢(私はこの論考によって初めて知ったが、所在地の記載がない)とし、寛文年 間の青面金剛刻像塔が全国に2〜3基という方に軽々しく庚申塔の研究について「その研究は近々十 年ぐらいの新しい学問」などといわれては放っておけない。若輩の私でさえも十数年の調査歴があり 何よりも先輩諸氏の尊い業績を無視されては困る。こうした記事に怒りのあまり、いささか感情的で 詰問調の手紙を送ってしまった。この点は若気のいたりとはいえ、反省しているけれども、ともかく も「けんか同然の御手紙ありがたく存じます」で始まるご返事をいただいた。その返信の中に、

延宝八年青面金剛像二基は、全国屈指はオーバーな表現であるという抗議については、今の ところ「そういうことになるかな」とも感じますが、貴殿とは極めて僅少の差だが、私の感覚 が違うのである。青面金剛文字塔は多少古いのがあるが、像塔の方は寛文以前は殆ど見当たら ないと思います。私は石造美術のことを言っているのですよ。寺の須弥壇に安置されている木 像や懸仏の青面金剛のことは言っておりません。延宝八年は、石造物としての青面金剛像が出 現してまだ二十年にもならない時期であります。

同じ延宝八年のものが埼玉県にも桐生市にもありますが、これらはやはり全国屈指の古さと 表現すると多少オーバーかもしれないが、どうも私には屈指となるような気持がするのです。 なぜかというと、おそらく全国では青面金剛石像は万単位の数となりましょう。万単位の数の 中で数十番、場合によっては二〜三〇番程度の古さならば、最古とはいわないが屈指といって もよいかと考えるからある。ただ全国で何番目くらいかは現段階では、私には良くわかりませ ん。庚申研究の貴会でさえ八都県程度の調査しかまだ完成されていないので、オーバー表現か どうか判定しにくい立場にあり、私も貴殿もカンに頼って表現問題で論をしているのが現状か と思います。具体的に全国的に何番目だからオーバーであるという答えがほしいわけです。こ ういう女子供の口争いは誠につまらないと思います。

という回答の1項目が記されている。

かつて私は庚申懇話会の会誌『庚申』69号(昭和49年刊)に発表した「情報化時代の『庚申』に 望む」の中で「文禄以前でも慶長以前でも、わかる限りの庚申塔年表の発表が望まれる。それによっ て、現存最古の塔を始め誤った記述もかなり少なくなるだろう」と記した。この件に関して、まだ具 体的に進展していないのは残念であるけれども、庚申懇話会編『日本石仏事典』が現在編集中であり 来春には発売予定になっている。これによって、最古の塔の問題は、現状よりは改善されるだろう。  今回の場合は、売り言葉に買い言葉の面もなかったとはいえないが、これを単なる手紙上の喧嘩と しての不毛な論争に済ませたくはない。現存最古の庚申塔については、横田甲一氏が「文明二年の庚 申板碑」(『庚申』第69号)に発表されているし、例えば、石神井図書館郷土資料室編『庚申塔─ ─練馬の民間信仰の中から』(昭和48年刊)や青梅市教育委員会編『青梅市の石仏』(昭和49年刊) に書かれている。また、中世の庚申塔年表としては、清水長輝氏の『庚申塔の研究』(昭和34年刊) の巻末、植松森一氏の「寛永以前の庚申塔について」『野仏』第5集(昭和48年刊)があり、先 にあげた拙稿にも九州の文禄以前の庚申塔17基をあげておいたから、ここでは寛文年間までに造立 された青面金剛の刻像塔に限って簡単な年表を作ってみたいと思う。

不完全ではあるけれども、とりあえず私の手許にある資料を用いて、返信中の「八都県程度の調査 しか」といわれたよりも狭い範囲で、これだけの例がある証としたい。ただ手許にある資料といって も、私の生の調査資料では我田引水と受け取られる恐れがある。そこで私の資料を含めて、すべて過 去に公表されたものに限って用いることにする。とはいうものの、私自身の調査資料は、すべて何ら かの形で公表しているので、全て今回は使用されている。

まず、年表に先立って使用した資料を明示しておくと、

使用資料一覧
著者著書名発行年発行元
秋山正香『庚申塔と塞神塔』四・五・八昭和39〜42年刊庚申資料刊行会
世田谷教委『せたがや 供養塔・道標その二』昭和40年刊同会
清水長明『相模道神図誌』昭和40年刊波多野書店
石川博司『三多摩庚申塔資料』昭和49年刊私家版
愛川文化財保護委『愛川町の野立ち文化財 田代・半原地区』昭和41年刊愛川町教委
藤井慶治『横須賀市内の庚申塔資料(一)』
(横須賀市文化財調査報告書第一集)
昭和42年刊横須賀市教委
石川博司「庚申塔調査報告」『ともしび』8号昭和42年刊ともしび会
伊東重信『横浜市庚申塔年表』昭和42年刊私家版
藤井慶治「葉山・逗子地区の庚申塔」『三浦古文化』6号昭和44年刊
平野栄次『大田区の民間信仰(庚申信仰篇)』昭和44年刊大田区教委
平野栄次・南博『品川の民俗と文化』昭和45年刊品川区
川越市市史編纂室『川越の石仏』昭和48年刊川越市
船窪久『甲州の庚申塔』昭和50年刊私家版

で、ここで用いた資料の中には古いものが含まれており、新町名表示や道路拡幅工事などの移転があ るから、わかる範囲で所在地の表記を現状に合わせて改めた所があることを断っておく。

造立年 塔形 所在地
承応3年 光背型 神奈川県茅ヶ崎市甘沼 八幡社
承応4年 光背型 神奈川県茅ヶ崎市行谷 金山神社
明暦2年
光背型 神奈川県藤沢市遠藤・松原 御岳神社
光背型 神奈川県茅ヶ崎市十間坂 神明宮
寛文1年 笠付型 東京都板橋区板橋3 観明寺
光背型 埼玉県大里郡妻沼町西城 長慶寺
寛文2年 光背型 神奈川県津久井郡津久井町鳥屋・馬石
笠付型 東京都板橋区板橋4 東光寺
寛文3年 笠付型 埼玉県大宮市馬宮宿 高城寺
光背型 東京都江戸川区東小松川2 源法寺
笠付型 埼玉県所沢市旭町 庚申堂
寛文4年 光背型 東京都江戸川区船堀6-9 法竜寺
光背型 埼玉県浦和市広ケ谷戸
寛文6年 光背型 神奈川県愛甲郡愛川町上ノ原
光背型 東京都三鷹市中原4-16
寛文8年 笠付型 東京都杉並区方南2-5 釜寺
笠付型 東京都豊島区高田2-12金乗院(目白不動)
笠付型 東京都杉並区成田西3-3 宝昌寺
光背型 埼玉県深谷市石塚 光明寺
板碑型 東京都渋谷区恵比寿西2-11
板碑型 東京都品川区南品川1-10 本覚寺
光背型 東京都文京区根津1-28 根津神社
寛文9年 光背型 神奈川県愛甲郡愛川町川北・沢平
光背型 神奈川県横浜市保土ヶ谷区天王寺町 神田不動動
笠付型 埼玉県加須市馬内 延命寺
板碑型 埼玉県大里郡大里村小八林 大福寺
光背型 神奈川県横浜市南区上大岡町 青木社
寛文10年 柱状型 東京都町田市相原町 大戸観音
板碑型 千葉県市川市行徳町高谷 安養寺
寛文11年 笠付型 神奈川県三浦郡葉山町上山口・寺前
光背型 神奈川県津久井郡津久井町根小屋・並木
笠付型 千葉県館山市館山 三福寺
光背型 東京都北区神谷3-45 自性院
笠付型 茨城県取手市曽江 金刀比羅神社
光背型 神奈川県横浜市戸塚区戸塚町 富塚八幡
板碑型 東京都世田谷区砧
笠付型 神奈川県逗子市逗子5-2 亀ケ岡八幡
寛文12年 笠付型 神奈川県三浦郡葉山町上山口・唐木作
板駒型 神奈川県横浜市南区別所町 白山神社
板碑型 東京都大田区矢口3-21 円応寺
光背型 神奈川県横須賀市追浜町1-27 良心寺
板駒型 東京都世田谷区玉川奥沢町 九品仏
光背型 東京都荒川区荒川4-10 子育地蔵
笠付型 東京都新宿区戸塚 子育地蔵
光背型 神奈川県横須賀市長浦町5-23 路傍
板碑型 東京都渋谷区西原町 雲照寺
光背型 埼玉県大里郡大里村相上 路傍
光背型 東京都荒川区荒川4-10 子育地蔵
笠付型 山梨県中巨摩郡白根町百々 秋月院
寛文13年 光背型 神奈川県横浜市金沢区野島 染王寺
光背型 神奈川県藤沢市遊行通4 庚申堂
板碑型 東京都世田谷区太子堂 円泉寺
笠付型 神奈川県横須賀市矢部町 満昌寺
光背型 埼玉県川越市大中居 高松寺裏

上記の年表のように、限られた資料でみても寛文年間までに造立された青面金剛刻像塔は50基を 越すのである。当然、未調査のものもあろうし、すでにわかっていてもここに載っていないものがあ るだろう。さらに延宝8年まで延々とこの年表を書き加えていけばご希望に添えるかもしれにけれど も、例えば伊東重信氏の『横浜市庚申塔年表』(前掲)から青面金剛刻像塔を拾うと、延宝元年から 7年までのものが7基、延宝8年塔が13基ある。あるいは秋山正香と八木橋信吉両氏の『庚申塔と 塞神塔』第2集(昭和38年刊)には、熊谷市内の延宝元年から延宝7年までのものが2基、延宝8年 塔は10基記載されている。こうしたことから推測して、東京・埼玉・神奈川の2都県で100基を 越すであろうし、場合によれば延宝8年塔だけでもその位の数になるだろう。全国では一体どのよう な数字が出るのか、予想もつかない。こうした数字をもっても、まだ「全国屈指の古さ」といえる であろうか。

まったく変な動機から青面金剛の年表を作ったけれども、このようにまとめてみると、平野實氏が 「少し時代が下って寛文年代になると、もはや数が多く、珍しい存在ではなくなる」(『庚申信仰』 48頁 角川書店 昭和44年刊)と記した裏付けにもなるだろう。今回のような極く簡単なものであ っても、利用方法を考えると活用の範囲は広い。関東地方の白地図の上に所在地毎に印をつけたら、 それも造立年によって色を変えてマークしたら、面白い分布地図になるだろう。分布の密粗から判断 して、さらに重点調査地域が定められるかもしれない。同じ時期の青面金剛の文字塔年表との対比、 あるいは他の主尊(阿弥陀や地蔵など)の年表と比較するなど、多角的に利用したらよいだろう。

ともあれ、対象範囲の広狭にかかわらず、いろいろな角度からの年表を作ったら、思いがけない発 見があると考えられる。庚申懇話会でも、先年、日蓮宗系庚申塔の資料を持ち寄ったことがあった。 それを総合した年表作りにまで進められなかったけれども、多大の効果をあげた。私事で恐縮である が、最近昭島市の庚申塔をまとめた(『たま』第4号 昭和50年刊)。僅か12基の資料ながら年表 を作り、これから年不明塔を「元禄から天明の間」と推測し、さらに塔形の変化に着目して「享保時 代前後」に絞った。この塔の台石には享保20年の年銘があり、それを発見された地元・神山又男氏 が報告されたので推測が正しかったことが立証されたわけである。もっとも台石(塔の後方に立てか けてあった)を見落としていた私の調査ミスがあるのだから、余り自慢になる話ではないけれども、 年表の1つの利用法を示しているといえる。

昭和45年3月、庚申懇話会で横須賀市内の共同調査を行った。主体は庚申講調査であったけれど も、私もこれに参加して44基の庚申塔を調べた。この時は、塔の写真カードが早くできたので、造 立年順にカードを並べてみたところ、同じ石工が造ったと思われる青面金剛像があるのに気付いた。 年表こそ作らなかったが、所在地別に整理しておいたら気付かなかったろう。たまたま編年順に配列 したからこそ、そうした発見があったわけである。

それより先の昭和43年には、手元にある資料をまとめて庚申石祠年表を作ったことがある(『と もしび』第18号 昭和44年刊)。当時は80基程度であったが、年表を通して造立年代・分布範囲 ・祠型と所在地との関連など、いくつかの傾向を掴むことができた。これ以後は庚申石祠に注意を払 っているので、現在では当時よりもさらに広い地域の事情がわかるようになった。これも年表作成の 功徳だろう。

年表は、対象を絞れば簡単にできるから、まず手近な資料を用いて作ってみたらどうだろうか。そ れを土台に考え、時にはグラフを作ったり、時代別とか主尊別に色を変えて分布図を作ったりして、 傾向や特徴を掴むように努力するならば、意外な発見があるのに気付くだろう。調査カードをボック スに入れておくだけでは、カードは何も物語ってはくれない。やはり、行動を起こすことが必要など である。自分の住む市町村から始めて、群単位・県単位、あるいはもっと広い範囲でまとめれば、さ らに効果が上がるだろう。単に庚申塔全体だけでなく、主尊別に主銘別に、あるいは荘厳別に多角的 な年表も考えられる。調査地域の異なる同好の士と年表を交換して比較するように発展すれば、相互 に予想もできなかった発見につながる。ともかく庚申塔年表を作ってみよう。

昭和50年11月14日 記

初出

『かのえさる』創刊号(三申研究会 昭和50年刊)所収

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