庚申塔物語

庚申塔と名数

庚申塔と名数

名数と石仏については、すでに本誌15号(『日本の石仏』昭和55年刊)に「石仏の名数」を発 表し、二天から始まって五百羅漢までを「石仏名数一覧表」にまとめて掲げた。ここでは、切り口を 変えて庚申塔にみられる名数を取り上げたい。

現存最古の庚申塔は、埼玉県川口市領家・実相寺にある文明3年(1471)の庚申板碑である。 以来、中世には多くの庚申板碑が造建されたが、まずその中の名数から見ていこう。 一尊の例としては種子と画像のものとがある。一尊種子の板碑には1〜3があり、 一尊画像の板碑には4がみられる。三尊以上の庚申板碑には5〜9があげられる。 [表1]参照

表1.中世の庚申板碑
No.板碑年銘所在地備考
1文殊一尊種子長享2年東京都練馬区石神井台 郷土資料室一尊種子
2弥陀一尊種子明応3年埼玉県戸田市下笹目 平等寺
3釈迦一尊種子天文24年埼玉県比企郡玉川村五明 円通寺
4弥陀一尊画像長享3年埼玉県三郷市上口 閻魔堂一尊画像
5弥陀三尊種子延徳4年千葉県香取郡下総町小野 八幡神社三尊以上
6弥陀三尊画像大永8年東京都豊島区巣鴨 高岩寺
7釈迦三尊種子天文7年埼玉県比企郡川島町小見野 法鈴寺
8十三仏種子大永5年埼玉県比企郡嵐山町将軍沢 明光寺
9二十一仏種子永正15年 埼玉県川口市西新井 宝蔵寺

江戸時代以降の庚申塔についてみると、主尊の場合は、青面金剛を始めとして猿田彦大神や帝釈天 以外にも多くの像が造られている。また青面金剛の場合をみても、1面と2面とがあり、2手・4手 ・6手・8手のように種類がある。まず一尊の刻像からあげると1〜19などである。 二尊以上のものとしては20〜23がみられる。 東京都杉並区梅里・西方寺には、六観音の立像を浮彫りする承応2年の石幢がある。六 観音の1体、聖観音の面には「此一躰者庚申為供養」と刻まれ、庚申供養のための造立とわかるが、 あくまでも聖観音だけで六観音の庚申塔ではない。こうした例は、他にも六地蔵などにあるから注意 しなければならない。 [表2]参照

表2.江戸時代以降の庚申塔
No.主尊年銘所在地備考
1青面金剛寛文1年東京都板橋区板橋 観明寺一尊
2帝釈天宝永1年神奈川県大和市上和田 薬王院
3猿田彦大神嘉永6年埼玉県川口市舟戸町 善光寺
4貞享1年東京都狛江市和泉 泉龍寺
5釈迦如来明暦2年千葉県市川市曽谷 安国寺
6薬師如来正保4年東京都板橋区志村 延命寺
7阿弥陀如来承応2年千葉県富津市竹岡 十夜寺
8大日如来承応2年東京都台東区浅草 銭塚地蔵
9聖観音正保3年千葉県浦安市堀江 大蓮寺
10馬頭観音宝永7年東京都板橋区大原町 長徳寺
11如意輪観音寛文1年神奈川県川崎市幸区北加瀬 寿福寺
12勢至菩薩延宝8年埼玉県三郷市彦倉 虚空蔵堂
13地蔵菩薩承応3年埼玉県越谷市越谷 天岳寺
14不動明王寛文11年神奈川県横浜市鶴見区東寺尾 不動堂
15倶利迦羅不動寛文6年東京都豊島区高田 金乗院
16閻魔大王貞享2年東京都北区中十条 地福寺
17仁王元禄10年東京都足立区扇 三島神社
18弁才天元禄2年東京都足立区千住仲町 氷川神社
19聖徳太子元禄5年神奈川県横浜市港北区綱島西 来迎寺
20双体道祖神天明6年神奈川県茅ヶ崎市東寺尾 路傍二尊以上
21弥陀三尊来迎元和9年東京都足立区花畑 正覚院
22六地蔵寛文5年埼玉県羽生市常木 長光寺址
23卅四所観音享保5年東京都東瑞江 下鎌田地蔵堂

先にも触れたように青面金剛の名数としては1〜6があげられ、 如意輪観音主尊の庚申塔にも7〜8のように、 手の数が異なるものがある。 [表3]参照

表3.
No.名数・手数年銘所在地
11面青面金剛寛文1年埼玉県大里郡妻沼町西城 長慶寺
22面青面金剛寛文2年東京都板橋区板橋 東光寺
32手青面金剛寛文2年神奈川県津久井郡津久井町馬石
44手青面金剛承応2年神奈川県高座郡寒川町大曲 八幡神社
56手青面金剛寛文3年埼玉県北足立郡吹上町明用 観音寺
68手青面金剛元文1年千葉県浦安市堀江 宝城院
72手如意輪観音寛文8年東京都練馬区旭町 仲台寺
86手如意輪観音元禄4年東京都北区神谷町 自性院

刻像塔にしろ文字塔にしろ「一結」とか「一座」「二世安楽」「現当二世」「三世」「三守庚申三 尸伏 七守庚申三尸滅」「三年一座」などの銘文が彫られている。文字庚申塔の主銘の名数としては 以下のものがあげられる。 [表4]参照

表4.文字庚申塔の主銘の名数
No.名数年銘所在地
1一座承応3年東京都北区中里 円勝寺
2三尸寛政6年東京都小金井市貫井南町
3五庚申天明8年秋田県仙北郡神岡北楢岡 地蔵堂
4六庚申明治32年宮城県南郷町福ケ袋 見渡神社
5六字名号 寛文5年東京都武蔵野市吉祥寺東町 安養寺
6七庚申寛延4年宮城県古川市下中ノ目 羽黒神社
7二十一仏種子承応4年東京都葛飾区青戸 延命寺
8百庚申万延3年東京都武蔵村山市中藤
9千庚申寛政3年群馬県桐生市三吉町 水神宮
10三千願主庚申寛政3年群馬県桐生市梅田町 薬師堂

庚申塔には主尊の像の他にも、いろいろな刻像がみられる。日月・鬼・鶏・猿・童子・薬叉などで ある。それらの名数の例をを示すと以下のようになる。 [表5]参照

表5.刻像の名数
No.名数年銘所在地
1一鬼寛文8年東京都杉並区方南 東運寺
2二鬼寛文2年東京都板橋区板橋 東光寺
3一鶏承応3年東京都台東区浅草 銭塚地蔵
4二鶏明暦2年東京都調布市深大寺元町 城跡
5三鶏無年号東京都文京区春日町 牛天神
6一猿寛文1年東京都板橋区板橋 観明寺
7二猿承応2年栃木県日光市山内 四本龍寺
8三猿明暦4年東京都世田谷区上馬 宗円寺
9四猿弘化4年東京都西多摩郡五日市町(あきる野市)伊奈 山王宮下
10五猿延宝7年東京都町田市広袴 天王社
11九猿延宝5年千葉県千葉市検見川町 善勝寺
12二童子寛文3年埼玉県大宮市西遊馬 高城寺
13二薬叉宝永5年千葉県柏市花野井 長泉寺
14四薬叉寛文3年埼玉県所沢市旭町 庚申堂

東京都多摩市関戸には、寛文13年の笠付型の庚申塔があって「申三疋鶏二羽」と刻まれている。 刻像ではなく、このように文字で三猿と二鶏を表示する例がみられる。三猿の文字化の例としては、 東京都の多摩地方をみると、日野市を中心として隣接する八王子市・多摩市・町田市・府中市に「三 匹猿」「三疋猿」「参疋猿」「申申申」などと彫られた庚申塔がある。なお北区滝野川・寿徳寺には 「帝釈天三猴」の主銘の塔がみられる。

参考文献

著者名著書名発行年発行元
清水長輝『庚申塔の研究』昭和34年刊大日洞
中山正義『埼玉県結衆板碑 庚申板碑』昭和56年刊私家版
石川博司「庚申塔入門」
『日本の石仏』第38号所収

日本石仏協会
嶋二郎「花巻市の庚申塔 第六報 七庚申塔の源流をたずねて」
『花巻市文化財報告書』第14集所収
昭和63年刊花巻市教育委員会
多田治昭『東京都の庚申塔』平成1年私家版
中山正義「関東地方の寛文年間の青面金剛像」
『野仏』第21集所収
平成2年多摩石仏の会

初出

『日本の石仏』第63号(日本石仏協会 平成4年刊)所収

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