庚申塔物語

庚申塔の形態

庚申塔の形態

墓地でみよう

石仏に関心のない人たちには、「庚申塔」というと、何か標準的な形があって統一されたものであ る、と思うかもしれない。

日本の郵便切手は四角だが、世界の切手を調べると三角や六角・八角・円、さらに自国の領土の形 を切手にしたものまで、いわゆる変形と呼ばれる切手が存在し、それらが収集のテーマの一つになっ ている。庚申塔も同様で、実際に調べ回るといろいろの形があることに気付かれることだろう。

庚申塔がどこにあるのかわからないという人は、まず近くの墓地に行って墓石をみることをお推め する。最近造られた「○○霊園」というのは、墓石の形が統一されたところもあるから、こうした墓 地は避けた方がよい。

さて、東京周辺の墓地では、在来の形とは異なる洋風なものが加わっているだろう。村のはずれの お地蔵さんと唱われる地蔵は、立体的な像に刻まれたものもあるし、地蔵に限らず阿弥陀や聖観音の 立体像の墓石もある。自然石をそのまま利用した墓石もあろう。住職の墓地には、卵形のもの(無縫 塔)もみられる。古い墓地や旧家の墓地には、宝篋印塔や五輪塔などもあろうし、中世の板碑が残っ ている場合もある。

ともあれ近くの墓地でいろいろな形を知り、その移り変わりの傾向を調べておくと、庚申塔を調査 する場合にも有益である。また、路傍の石仏を見る時に年銘のないものの造塔年代の推定に役立つ。

庚申塔の形

全国にはまったく思いがけない形の庚申塔がある。そうした塔を外観から、私は次の4種に大別し ている。すなわち、庚申板碑・庚申石祠・一般庚申塔・特殊庚申塔の4種だ。

庚申板碑は、庚申(待)供養のために建立された板碑で、今まで発見された庚申板碑の多くは、図 1に示した武蔵系の板碑(青石塔婆)である。武蔵系以外では、下総系の板碑があり、これは、武蔵 系に比して幅が広く厚い。

庚申石祠は、石祠の形をとった庚申塔で、今までに1都8県で発見されている。これには幾つかの 形があって、屋根部の変化から、宝塔型・入母屋型・流造型(図2参照)の3種に分類できる。宝塔 型の変形に宝篋印塔型、流造型の変形には唐破風付きがみられる。

一般庚申塔は、普通にみられる庚申塔であって、これについては次の甲で述べることにする。

特殊庚申塔は、一般庚申塔に比べて少ないもので、磨崖・五輪塔・宝篋印塔・層塔・石幢・石燈籠 などがこの類である。石燈籠自体は、多くの形に分類できるけれども、庚申塔の範囲では細分する必 要はない。なお、石燈籠の分類に興味のある方は、京田良志氏著『石燈籠入門』(昭和45年 誠文堂 新光社)の「石燈籠の種類」(100〜117頁)を参照されるとよいだろう。

よく見られる形

一般庚申塔は、1部を除いて通常見られる庚申塔の形である。これは、板碑型・光背型・板駒型・ 笠付型・駒型・柱状型・自然石・丸彫・雑型の9種に分類できる。それぞれの塔形について説明しよ う。

板碑型は、青面金剛を平らに、背面を舟底形にけずる。上部に額部を作り、中央は彫りくぼめて下 部に前出をおく。この形のものも細かく見ると形に変化がある。江戸期の庚申塔としては最も古い部 類に属する。多くは文字塔で、時代の下ったものの中には正面に青面金剛(庚申の本尊)を刻んだも のもある。

光背型は、板碑型に続く型式の塔でにょうらいの光背をかたどり、背面は板碑型同様に舟底形であ る。一般にみて、地蔵・阿弥陀・観音などの主尊の庚申塔が多い。

板駒型は、板碑型と光背型との折衷した形というべきもので、光背型の上部を将棋の駒のような形 にしている。背面は舟底形の荒けずり。この形の塔には、青面金剛が刻まれたものが多い。

笠付型は、塔身の上に笠を置いたものでる。塔身の多くは角柱であるが、丸柱のものや板碑型の上 部を切り取って笠を置いた形のものもある。笠付型は、刻像塔と文字塔の両方に見られるが、どちら かといえば、文字の方が多い。笠部の変化から、普通笠と唐破風笠とに区分できるし、塔身からは、 角柱・丸柱・その他に分類できる。

駒型は、将棋の駒の形をとっている。板駒型とは異なり、背面が平らで、両側面藻加工してある。 板駒型よりも時代が下り、文字塔が多い。

柱状型は、角柱型に偏平柱型や丸柱型を含めた呼び名である。頭部の変化によって、平角型・皿角 型・山角型・丸角型などに分類される。末期の造塔に多い型式である。

自然石型は、自然石をそのままりようして、像や文字を刻んだものである。角のとれて丸くなった 河原石や片岩をはがして平らにしたものがみられる。東京周辺では、末期に「庚申」とか「庚申塔」 と刻んだものが多いが、熊本では、地蔵などを刻んだ初期のものがある。

丸彫り型は、よく見られる地蔵のように、立体的に像を刻んだ形のものをいう。丸彫り型の青面金 剛はすくない。

雑型は、一般庚申塔で板碑型から丸彫り型までに当てはまらない型式を一括してこう呼んでいる。 具体的な例は、次の項で述べる。

以上、簡単に塔形の説明を加えたが、このような分類は、庚申塔を中心に考えた分類といえよう。 しかし、庚申塔の研究者の間でもいろいろな分類が行われているし、塔形の呼び名も変わっている。 例えば私が「板駒型」と呼んでいる形を「駒型」と呼んでいる方もあれば、「舟型」と分類している 方もある。

また、私のいう「板碑型」・「光背型」・「板駒型」の形を含めて「舟型」と呼んでいる人もある という具合である。こうした塔の形の分類(呼び名も含めて)を比較してみると、相互の間に違いの あるのに、気付かれるだろう。手許に伊藤堅吉氏の『性の石神』があったら、73頁の碑型分類図と 私のものと比較されると面白いだろう。

変わった形の塔

全国に散在する庚申塔の中には、いろいろ変わった珍しい形のものがある。そうした塔をいくつか あげてみよう。

笠付型は、前にも述べたように、塔身が角柱であるものが多い。稀には丸柱もある。そうした中で 変わったものといえば、山梨県北都留郡上野原町犬目にある天和3年塔は異形の笠付型だろう。板碑 型の上部を改造して笠を置いている。

柱状型は、頭部の変化によってさらに分類されるが、大体は角柱である。東京都青梅市二俣尾にあ る文政6年塔は、塔身が円柱で、台石が六角をしている。東京都西多摩郡秋多町(現・あきる野市) 引田の五日市街道に面して三角形の台石に三猿が刻まれたものがある。惜しいことに塔身が失われて しまったが、台石から見ると塔身は三角柱だったらしい。

まだ私は実物を見ていないが、変わった形の庚申塔として資格充分なのは、日下部朝一郎氏が『石 仏入門』で紹介している、群馬県勢多郡城南村の石臼庚申である。石臼に「庚申塔」と刻んでこうし とうとしたものである。

次のものもまだ見ていないが、『国東半島の石仏』の著者、渡辺信幸氏から報告のあったもの。上 部を宝珠形に刻んでいる。分類すると雑型ということになろう。

最後に、とっておきの変形庚申塔を1つ。それは東京都青梅市千ケ瀬・宗建寺の境内にある文化9 年塔である。三猿を刻んだ台石の上にテーブル状の台座、さらにドラム状の塔身を置くものだ。これ も雑型である。

むすび

以上おおまかに庚申塔の形を見てきた。まだまだ、私の知らない形があるであろう。庚申塔だけに 限定せずに、石造遺物全般に拡げると、石燈籠ひとつとってもいろいろな形がある。道祖神には陽物 をかたどったものもある。それぞれの研究対象によって塔などの形も異なり、分類方法も違いが見ら れる。そうして呼び名も独特なものがある。が、庚申塔の分類としては、ここに述べたものが基準に なろう。

ともあれ、庚申塔でなくても、近くの墓地で実際に墓石を見て「これが光背型だな」とか「そちら は丸彫り型だな」などと、形の変化を知っていただければ幸いである。そして、さまざまな墓石を調 べ、時代によって、どのような形に変化するかを知れば、石仏に対する興味も湧いてこよう。

初出

『あしなか』130輯(山村民俗の会 昭和46年刊)所収

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