庚申塔物語

南関東の庚申塔

南関東の庚申塔

庚申塔

昭和55年は、60年に1度めぐってきた庚申年であった。この年には、今まで使っていた庚申掛 軸を庚申塚に生めて新しいものに替えたり、庚申堂の本尊を開帳するところも見られるなど、庚申年 の特別な行事が各地で行われた。そうした記念行事の1つとして、全国各地で庚申塔が建てられたの である。とりわけ長野県上伊那地方における昭和庚申年の造塔はめざましく、萩原貞利氏の報告(『 伊那路』286号)によると、2市4町4村で366基の庚申塔が建てられた。

南関東では、例えば東京都武蔵野市八幡町・延命寺や神奈川県横須賀市長坂、あるいは千葉県鎌ヶ 谷市粟野・八坂神社、埼玉県秩父郡皆野町日野沢・水潜寺などで、昭和庚申年の造塔があった。しか し長野県や新潟県に比べると、造立数はきわめて少ない。

石佛を調査する人達の中には、庚申塔に興味を持つ方が多い。それはそれなりの理由がある。まず 第一に北は北海道から南は鹿児島に至るまで、疎密の別はあっても全国的に庚申塔が分布している。 このことは、身近なところで庚申塔に接しられるし、旅先などでの出会いも期待できる。

第二に主尊1つとってみても、実にさまざまな種類が登場して変化に富んでいる。その点が南関東 では特に顕著であって、後にかかげる表や写真家ら、充分に汲み取っていただけるはずである。また 塔の形態や猿の姿態など見るべきものが多い。そのために庚申塔を充分に理解するには幅広い知識が 要求される。

第三に全国的にしかも多量の庚申塔が分布し、主尊や形態などが変化に富んでいるので、思いがけ ない発見がある。今までまったく知られていなかった主尊の庚申塔に、ある日、偶然に出会う場合が あって、未知の部分が残されている。つまり新発見の可能性がある。神奈川県の聖徳太子や双体道祖 神、鹿児島県の田の神や水天を主尊とした庚申塔は、そうした予想外の発見例といえるだろう。

南関東にどの位の庚申塔が分布しているのか、まだ正確なところはわかっていない。東京都の場合 は、今での調査によって多摩地方に散在する塔が1,300基を越え、区部・島部の塔を合わせると3, 000基ほど現存すると推定される。千葉県については、剱教育委員会発行の『千葉県石造文化財調 査報告』によって県内約2,800基の分布がわかる。神奈川県の場合は、まだ全県的な集計を見てい ないが、伊東重信氏の『横浜市庚申塔年表』に629基、藤井慶治氏の「横浜市庚申塔年表」(『庚 申』48号)に837基の記載がある。鈴木喜代司氏の三浦市の報告や県内各市町村の資料を合計す ればゆうに3,000基を越す。埼玉県も全県の分析がなされていないけれども、故秋山正香氏(行田 市)の調査資料を見ると、県内7市15町村で約1,900基にのぼる(『庚申』47号)。こうした 塔数を集計しただけでも、少なくとも一万基を超える庚申塔が南関東に散在すると推定できる。

南関東で庚申塔が建立されたのは、室町時代以降のことで、全国でも現存最古の塔として有名な、 埼玉県川口市領家・実相寺蔵の文明3年(1471)庚申板碑が発出である。それ以後、南関東では 80基以上の塔が中世に造建されている。その中で埼玉県秩父郡長瀞町矢那瀬・地蔵堂の明応8年( 1499)石幢を除くと、他はすべて板碑であり、南関東の中世庚申塔の特色となっている。なお庚 申板碑については別稿で述べられる予定なので、ここでは省略する。

南関東では室町時代に始まった庚申塔の造立は、現在まで約500年に及ぶ歴史がある。その間に 名強敵にも、外観の上からも庚申塔の変遷が見られる。清水長輝氏は、その著『庚申塔の研究』で東 京付近を中心とした場合の変遷を次のように4期に大別している。すなわち、第1期は板碑時代で、 室町時代から安土桃山時代にかけて庚申板碑が板碑が建てられた時期である。第2期は混乱期で、元 和(1615〜24)から延宝(1673〜81)かけて見られる種々の主尊刻像塔が造られた時期 をいう。第3期は青面金剛時代で、天和(1681〜84)から天明(1781〜89)にかけてで ある。第2期に拡がってきた青面金剛が庚申塔の主尊の王座を占め、各地で全盛期を迎える。第4期 は文字塔時代で、寛政(1789〜1801)以降の文字庚申塔が多く造られた時代である。

刻像塔

南関東の庚申塔の特徴は、主尊が変化に富んでいる点である。それは造塔年代とも関係があって 塔の変遷でもふれた第2期、つまり主尊混乱時代の造塔が多いのも理由の1つにあげられる。庚申信 仰の本尊として広く青面金剛が普及して定着するまでは、庚申塔にさまざまな主尊が登場する。実に 変化があって、通常、見られる石仏の多くの主尊が塔面に刻まれている。

まず如来であるが、釈迦・薬師・阿弥陀・大日。菩薩では聖観音・馬頭観音・如意輪観音などの観 音をはじめ、勢至や地蔵・六地蔵などである。明王では不動や倶利迦羅があり、天部では帝釈天は無 論のこと、弁才天や仁王、その他に閻魔・聖徳太子・双体道祖神がある。青面金剛や猿田彦はいわず もがなで、猿を主尊の座に据えた塔も造られている。珍しい例としては、冨士御師発行の庚申掛軸を 模した塔もある。

表1は、主尊別に各都県1例ずつあげて作成したものである。東京の場合は、小花波平六氏が区部 の塔について書かれているから、できるだけ重複を避けて多摩地方の塔を優先させた。この表とそれ に続く写真によって南関東の庚申塔が他の道府県の塔に比べて、主尊像の変化相がいかに幅広いもの であるのか充分に理解できると思う。さらに圧倒的に多い青面金剛も、子細に調べれば、普通に見か ける6手立像ばかりでなく、坐像や2手・4手・8手の像があるのや、1面の他に3面の像の存在に も気づかれるはずである。さらに彫法の面から、一般的な浮彫り像以外に陰刻像や丸彫り像があり、 2童子や4薬叉を伴う塔が造られているのにも気がつかれるであろう。

表1.南関東主尊別庚申塔一覧表
形態 年銘 塔型 所在地 備考
青面金剛2手 寛文6年 光背 東京都三鷹市中原4-6
寛文2年 光背 神奈川県津久井郡津久井町馬石
元禄16年 光背 千葉県松戸市古ヶ崎 鵜ノ森神社
寛文12年 光背 埼玉県久喜市青毛 鷲宮神社
青面金剛4手 元禄7年 光背 東京都昭島市大神町 観音寺
承応4年 光背 神奈川県高座郡寒川町大曲 八幡神社
延宝2年 光背 千葉県柏市布施 大日堂
寛文1年 光背 埼玉県大里郡妻沼町西城 長慶寺
青面金剛6手 文化9年 雑型 東京都青梅市千ケ瀬 宗建寺
寛文11年 笠付 神奈川県三浦郡葉山町上山口
寛文3年 光背 千葉県東葛飾郡関宿町台町 光岳寺
寛文3年 板碑 埼玉県北足立郡吹上町明用 観音寺
青面金剛8手 文化12年 駒型 東京都府中市天神町 路傍
文化2年 駒型 神奈川県三浦郡葉山町一色 玉蔵院
元文1年 駒型 千葉県浦安市堀江 宝城院
宝永2年 光背 埼玉県春日部市上大増 香取神社
青面金剛3面 宝暦6年 笠付 東京都田無市本町 総持寺墓地
文化3年 笠付 神奈川県藤沢市下上棚
延宝6年 板碑 千葉県松戸市大橋 浄念坊
寛文3年 笠付 埼玉県大宮市西遊馬 高城寺
帝釈天 明治14年 板碑 東京都目黒区平町 帝釈堂
宝永1年 笠付 神奈川県大和市大和田 薬王院
嘉永5年 駒型 千葉県松戸市紙敷 庚申前
猿田彦 天保2年 駒型 東京都青梅市成木 松木峠
万延1年 柱状 神奈川県横須賀市久里浜 天神社
文政10年 丸彫 千葉県野田市木野崎菊谷
嘉永6年 駒型 埼玉県川口市舟戸町 善光寺墓地
一猿 貞享1年 板駒 東京都狛江市和泉 泉龍寺
享保4年 板駒 神奈川県横須賀市久留輪 粒石
寛文12年 板碑 埼玉県大里郡川本町屈巣 観音堂
三猿 寛文10年 板碑 東京都青梅市小曽木 小枕路傍
寛文10年 板碑 神奈川県横浜市金沢区六浦町三艘
寛文5年 板碑 埼玉県北葛飾郡杉戸町佐左衛門 松田寺
群猿 無年紀 柱状 神奈川県藤沢市江ノ島 奥津宮下
釈迦如来説法印 寛文12年 光背 東京都墨田区墨田5-42 円徳寺
延宝1年 光背 千葉県流山市中野久木 愛宕神社
釈迦如来合掌 寛文4年 光背 東京都足立区西綾瀬 長性院
明暦2年 笠付 千葉県市川市曽谷 安国寺
薬師如来 宝永7年 丸彫 東京都東大和市清水 清水神社 座像
寛文10年 笠付 千葉県船橋市西船橋5丁目 路傍
寛文10年 光背 埼玉県蕨市錦6丁目 堂山墓地
阿弥陀定印 元禄7年 笠付 東京都八王子市万町 観音寺
寛文10年 笠付 神奈川県鎌倉市大町 八雲神社
延宝年間 光背 千葉県印旛郡白井町法目
阿弥陀来迎印 延宝4年 光背 東京都調布市深大寺町 諏訪神社
寛文2年 笠付 神奈川県横浜市戸塚区舞岡町桜堂
承応2年 光背 千葉県富津市竹岡 十夜寺
寛文3年 光背 埼玉県越谷市宮本町 地蔵院趾
阿弥陀合掌 元禄2年 光背 東京都町田市成瀬 吹上路傍
天和3年 笠付 神奈川県鎌倉市二階堂
大日如来金剛界 元禄2年 笠付 東京都町田市図師町 日向路傍
延宝8年 笠付 神奈川県津久井郡藤野町上河原
寛文6年 丸彫 千葉県流山市流山8丁目 路傍
大日如来胎蔵界 承応2年 光背 東京都台東区浅草2丁目 銭塚地蔵
元禄10年 光背 神奈川県横浜市保土ヶ谷区今井町 金剛寺
延宝4年 光背 千葉県流山市西初石
聖観音 寛文3年 光背 東京都大田区田園調布 密蔵院
延宝3年 光背 神奈川県横浜市戸塚区矢部町 八幡神社
正保3年 光背 千葉県浦安市堀江 大蓮寺
寛文5年 光背 埼玉県八潮市柳の宮 狩野家墓地
馬頭観音 安永8年 駒型 東京都東村山市久米川 野行路傍
如意輪 寛文8年 光背 東京都練馬区旭町 仲台寺
寛文1年 丸彫 神奈川県川崎市幸区北加瀬 寿福寺
卅三所 享保5年 板駒 東京都江戸川区東瑞江 下鎌田地蔵堂 秩父霊場
勢至菩薩 天和3年 笠付 東京都町田市小山町 日枝神社
年不明 光背 千葉県我孫子市中里 薬師堂
延宝8年 光背 埼玉県三郷市彦倉 虚空蔵堂
地蔵菩薩 寛文4年 光背 東京都稲城市東長沼 常楽寺
寛文3年 光背 神奈川県川崎市高津区久地 養周院
万治2年 光背 千葉県浦安市新井 延命寺
承応3年 光背 埼玉県越谷市越谷 天岳寺
六地蔵 元禄15年 石幢 東京都町田市野津田町 丸山路傍
延宝2年 燈籠 神奈川県秦野市堀之内
寛文5年 石幢 埼玉県羽生市常木 長光寺趾
不動明王 貞享1年 笠付 東京都八王子市館町 梅元庵
寛文11年 光背 神奈川県横浜市鶴見区東寺尾 不動堂
寛文9年 光背 埼玉県岩槻市馬込 満蔵寺薬師堂
倶利迦羅 寛文6年 光背 東京都豊島区高田 金乗院(目白不動)
閻魔大王 貞享2年 丸彫 東京都北区仲十条 地福寺
元禄10年 丸彫 神奈川県横浜市中区南中通 県立博物館
仁王 元禄10年 丸彫 東京都足立区扇2-9 三島神社
弁才天 元禄2年 光背 東京都足立区千住仲町 氷川神社
宝永6年 光背 埼玉県川越市下松原 路傍
聖徳太子 嘉永3年 駒型 千葉県世田谷区用賀 真福寺
元禄5年 板駒 埼玉県横浜市港北区綱島西 来迎寺 
双体道祖 明和6年 光背 神奈川県茅ヶ崎市東寺尾 池端路傍
枡形牛王 享和4年 柱状 神奈川県藤沢市片瀬 泉蔵寺入口
狛犬 享保6年 丸彫 東京都新宿区北新宿 鎧神社

文字塔

庚申塔は、主尊像を刻んだものだけでなくて、寛政以降は「庚申」とか「庚申塔」、あるいは「庚 申供養塔」と彫られた文字塔が多数造られている。いうまでもなく第二期の混乱期や第三期の青面金 剛期にも文字塔が建てられている。そうした比較的早い時期の文字塔では、前記のような簡単な主銘 ではなく、「奉待庚申十六佛成就供養塔」や「奉果庚申待二世成就所」、あるいは「奉造建高真供養 成就」「奉納庚申供養」「奉庚申後世善所二世大願成就円満所」などのように長居主銘が多い。

文字塔においても「青面金剛」や「青面金剛明王」「青面王」などのように、主尊の尊名を刻む塔 が見られる。神奈川県公郷町の寛永12年(1635)塔に刻まれた「帰命山王庚申大権現」もそう した一例である。この種の主銘に「帝釈天王」「釈提恒因天」や「猿田彦命」「猿田彦大神」などが あり、埼玉県富士見市水子山崎の年不明塔に見られる「大日如来」や千葉県市川市八幡・葛飾八幡の 文政6年(1823)塔と同7年塔に刻まれた「道祖神」は珍しい例である。埼玉県では、行田市お よびその周辺(旧忍藩領)で旧来の庚申塔を「塞神」と改刻した塔が見られる。東京都武蔵野市吉祥 寺東町・安楽寺には「南無阿弥陀佛」の六字名号を主銘とした寛文5年(1665)塔があるし、同 三鷹市牟礼の享保17年(1732)塔には「南無妙法蓮華経庚申供養之所」と題目を刻んでいる。 このように六字名号や法華題目を主銘とした塔も見られる。

庚申系統の庚申塔を集めてもバラィティがあり、前記以外に「庚申塚」「庚申墳」「庚申宮」「庚 申灯」「庚申尊」「庚申講中」「庚申佛」「庚申神」「庚申大神」「甲申塔」「庚甲塚」「百庚申」 「千庚申」「萬庚申」などがある。変わったところで「庚申千社供養塔」や「奉納札千庚申供養塔」 という主銘も見られる。

猿の像

庚申塔の魅力の1つに、猿の姿態の変化があげられる。庚申塔を知らなくても、「みざる・きかざ る・いわざる」の3匹の猿が彫られた石塔だといえばわかるほど、三猿は庚申塔のシンボルである。 山中共古翁が庚申塔を「三猿塔」と呼んで、その著『共古随筆』に1章を加えているのも、庚申塔と 三猿が密接に結びついているのを端的に表している。

東京都にある古い殊に刻まれた三猿は、行儀のよい菱形である。神奈川県、特に三浦半島で見られ る三猿は、早い時期から横向きになったり、脚を延ばしたりして自由な姿態をしている。いわば東京 の三猿が楷書的であるならば、三浦のは草書的といえよう。東京でも時代が下ると菱形の行儀よいの がくずれて、烏帽子をかぶり、狩衣やチャンチャンコを着て、手に御幣や鈴・扇子などを持って自由 なポーズをとる猿が現れてくる。八王子市の塔の中には、桃の木にぶらさがる三猿や駒曳きの三猿が 刻まれている。千葉県野田市内の庚申塔は、猿の変化に富んでいて面白い。

殊に彫られた猿は、圧倒的に三猿が多いけれども、一猿・二猿・三猿・群猿も見られる。一猿は、 主尊として登場するし、一鶏を伴って下部に刻まれる例が多い。二猿は、通常、横向きで向き合って 拝む姿が多く見られる。五猿は、東京都町田市広袴町の延宝5年塔に刻まれており、群猿は、神奈川 県藤沢市江の島にある無年紀塔に浮き彫りされるもので、各書に紹介されて有名である。

塔の形態

南関東の庚申塔は、主尊像の変化もさることながら、形態的にも変化に富んでいる。表2は形態別 に各都県1例で表示した。ごく普通に見られるような庚申塔ばかりでなく、この表からもわかるよに 五輪塔・宝篋印塔・層塔・石幢・燈籠・石祠など、さらに庚申塔と呼ぶに抵抗のある鳥居や手洗鉢に 至るまで、かなりの範囲に及んでいる。これも南関東の庚申塔の大きな特徴といえる。

表2.南関東形態別庚申塔一覧表
形態 年銘 所在地 備考
五輪塔 正保3年 東京都杉並区永福 永福寺
慶安3年 神奈川県横浜市緑区田奈町 稲荷社
寛文11年 千葉県我孫子市新木 長福寺
宝篋印塔 宝暦11年 東京都日野市下田 八幡宮
正保2年 神奈川県横須賀市芦名 城山
寛文3年 埼玉県熊谷市玉井前岡
層塔 明暦4年 東京都調布市深大寺町城山 二鶏二猿
元禄3年 千葉県市川市柏井町 土神社
石幢 元禄15年 東京都町田市野津田町 丸山路傍 六地蔵
享保年間 神奈川県横浜市緑区下谷本町 農協前 六地蔵
寛文5年 埼玉県羽生市常木 長光院趾 六地蔵
燈籠 宝暦11年 東京都西多摩郡檜原村大沢 貴船神社
寛文1年 神奈川県川崎市幸区小倉 無量院 六地蔵
元文3年 千葉県我孫子市新木 葺不合神社
寛文9年 埼玉県北葛飾郡吉川町三輪之江 定勝寺 三猿
石祠 寛文9年 東京都町田市三輪町下三輪 註尊大日
万治1年 神奈川県南足柄市飯沢 南足柄神社 二鶏二猿
寛永19年 千葉県安房郡鋸南町下佐久間
鳥居 享保5年 千葉県流山市下花輪 神明社
手洗鉢 寛文7年 東京都墨田区墨田 正福寺
文政10年 神奈川県横浜市保土ヶ谷区保土ヶ谷 帝釈堂
文化7年 千葉県我孫子市新木 葺不合神社
元禄2年 埼玉県越谷市東越谷 香取神社 三猿

[資料提供]横田甲一、清水長明、中山正義、沖本博、伊東重信、小林太郎、林国蔵

初出

『日本の石仏 南関東篇』(国書刊行会 昭和58年刊)所収より抜粋

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