庚申塔物語

庚申塔の魅力

庚申塔の魅力

見知らぬ土地を訪れた時に私は、時間の許す限り寺院や神社を廻る。市街化の進んだ地域では、寺院や神社、堂祠の境内などに石仏が集められている確率が高いからである。そこで庚申塔を発見した時は、他人にとってそれがどんなにつまらない庚申塔であっても、私には嬉しいのである。まして新しい発見があれば、何もいうこがない。それほどに私は、庚申塔に魅せられているのだろう。

私が庚申塔に惹かれるのは、庚申塔にいろいろな魅力があるからである。

先ず第一は、沖縄県を除いて北は北海道から南は鹿児島県に至るまで、疎密の別はあるにしても日本各地に分布がみられる点である。これは、身近かで庚申塔が見られるし、旅先などでも見る機会の多いことを意味する。道祖神、とりわけ双体道祖神は、姿態が変化に富なで地域性が現われていて面白い。その上に細かに調べるてみると謎の部分が多い。しかし庚申塔に比べると、分布している地域が限られ、どこでも見られるという訳にはいかない。

平成12年7月に発行された『野仏』第31集(多摩石仏の会)に発表した「犬も歩けば石佛に当る」に書いたことだが、平成10年8月1日に山梨県北都留郡小菅村の獅子舞を訪ねた時のことである。バスの都合で獅子舞が始まるまで四時間あった。その時間を利用して小菅の村内を歩き、田元のバス停の先で4薬叉付きの寛政12年塔と安政7年塔(共に庚申年造立)の2基の青面金剛刻像塔をみつけた。これまで山梨県下で4薬叉付きの塔の報告を聞いていない。

平成12年の場合は、3月5日に岩槻市加倉・民俗文化センターの民俗芸能公演にいき、途中の加倉・久伊豆神社の境内で2基の庚申塔をみている。いずれも合掌六手の青面金剛像で、他の4手の1手に人身を持つ「岩槻型」青面金剛である。

平成12年の場合は、3月5日に岩槻市加倉・民俗文化センターの民俗芸能公演後にされ、加倉・久伊豆神社の境内で2基の庚申塔をみている。いずれも合掌六手の青面金剛像で、他の4手の1手に人身を持つ「岩槻型」である。

さらに4月9日に川越市田島の獅子舞に行き、ここの獅子舞が早く終わったので、白岡町小久喜・久伊豆神社に場所を移して獅子舞の見学を続けた。この神社の境内には、5基の庚申塔がみられ、その中の一基は、多摩石仏の会の中山正義さんが「岩槻型」と呼んでいる元禄2年造立の合掌六手青面金剛立像であった。この塔は、岩槻型の2番目に古い。

平成12年10月には、文化財のグループで栃木県内を旅行した。今市泊まりの予定が日光に変更になったので、朝風呂の後に神橋前にある寛永18年庚申塔を見てから、近くの上鉢石町の星の宮を訪ね、境内にある昭和庚申年塔を含むの5基の庚申塔の写真を撮った。朝食の時間が近づいたので一旦ホテルに戻って食事を済ませ、出発まで約1時間を利用して大工町の岩裂神社で、境内の14基の写真を撮ってホテルに戻った。

日光から今市市立歴史民俗資料館を訪ねて並木の成り立ちや歴史について半田慶恭さんからレクチャーを受けたが、この半田さんは平成5年発行の『今市の庚申塔』の調査を担当された。この時に昭和庚申年塔について尋ねると、調査報告書の発行後にさらに2基の調査洩れを発見されたとお聞きした。このように旅先でも庚申塔をみられるし、情報が得られる。 これは『平成十二年の石佛巡り』(多摩野佛研究会 平成12年刊)に収録した「栃木文化財視察旅行」発表した。

このように最近の例を挙げても、見学先や旅行先で庚申塔に接する機会がある。限定された地域にしかみられない石佛、例えば双体道祖神では考えられないことである。

第二に、主尊一つとってみても、後で詳しく述べるように多くの佛・菩薩・明王・天部などが登場し、民間信仰の道祖神や地神塔なども加わり、実に変化に富んでいる。さらに主尊だけでなく、塔に刻まれた日月・鬼・鶏・童子・薬叉、とりわけ猿の姿態はさまざまなもがある。他にも数は少ないが兎や八咫烏、狐や蟹などもみられる。

第三に、これも後で触れる予定であるが、塔の形式が広範囲にわたる。通常みられる板碑型や光背型、笠付型などの墓石形式の石塔の他に、五輪塔・宝筐印塔・層塔・石祠・石幢・灯篭などがあり、変ったものでは手洗鉢や鳥居がある。そのために庚申塔を理解するには、主尊の像容を含めて石造物全般に関する広範囲な知識が欠かせないのである。

第四に、庚申塔は全国的に、しかも多量に分布しており、変化に富んでいるので思いがけない発見がある。先の小菅村のように、これまで山梨県下で4薬叉塔の報告を聞いていなかった。また東京都青梅市吹上で勢至主尊の庚申塔をみつけたのも、窯跡の聞き取り調査で訪ねた家で裏山に馬頭観音があるというので調査してわかった。今まで知られていなかった主尊や塔形の庚申塔が見付かる機会があるほど未知の部分が隠されている。つまり発見の楽しみがあるわけである。

第五に、現存最古の文明3年(1471)板碑から平成14年塔が造立されている現代まで、500年以上に造塔が続いているから、その間の変遷を追う楽しさがある。少なくなったとはいえ、まだ造塔に接する機会がある。現に千葉県鎌ケ谷市粟野では5年おきに、最新は平成12年に造立されたと聞いているし、船橋市鈴身町では10年おきに造塔されて最新は平成13年塔である。以上のような魅力は、実際に庚申塔をみて歩かないと実感として湧からないかもしれない。是非とも各地に散在する庚申塔を実地でみていただきたい。

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