庚申塔物語

淀橋庚申堂再訪

淀橋庚申堂再訪

平成13年4月7日(土曜日)は、新宿・百人町の水族館で石仏談話室の開かれる。 前回の2月3日(節分 土曜日)と同様に、午後2時からの談話室が始まる前に淀橋庚申堂(新宿区西新宿5丁目23番5号)を再訪する。 2月の時には、カメラを持たずにきたので、今回は写真が目的である。

朝早めに家をでて、新宿駅からヨドバシカメラに寄ったところまで同じだが、 前回と同じ道を歩くのも面白くないので、コースを変えて淀橋庚申堂に向かう。 今度の道の方が近いような気がする。

堂内はきれいに清掃され、水を入れたコップ3個が庚申塔の前に供えられている。 中央には、昭和29年造立の青面金剛の刻像塔が安置されている。 駒型塔の上部には日月、中央には合掌6手の青面金剛、その足下には一鬼、その鬼の両横には蓮華、 下部の枠の中には三猿が浮き彫りされている。 三猿の中央が不言猿で正面を向き、左の不聞猿と右の不見猿が向かい合う三猿形式である。 右側面には「淀橋庚申講世話人一同/昭和二十九年九月建之」の銘文が刻まれている。

庚申塔の右横にある刻像塔は、はっきり猿(像高33センチ)とわかる訳ではないが、 円照寺(北新宿3丁目16番)の無縁墓地にある寛文5年塔の合掌一猿系統の猿と思われる。 左横にある2折した石塔も庚申塔かも知れないが、現状では庚申塔と確認できない。

堂にある「庚申待の由来」には、次のように木札に記されている。

庚申堂は庚申の日、人々集まりて三猿を祭り/ 一切の邪念を払う処で、庚申塚は三猿を刻み/ 或るは文字を鐫りて、萬人の交通安全を祈り/ また里道の目標としたものです。 俗間では道祖神(猿田彦命)と混同されています/ 当所の庚申塚は昭和六年の調べでは三基の石碑/ は寛文四年(西記一六六四年)等の文字が刻ま/ れてありましたが当今ではその文字も磨滅して/ 判読しかねる程で、まことに遺憾に存じます。

猿田彦のしぐさは人の泪のつみ重ねであり/ とぼけた猿の面ざしにはほっとする救いがあった/ 通りすがりの旅人がふと立ちどまり手をあわせて/ 旅のつかれをほっと吐き出すところであった。

昭和五十二年一月吉日記淀橋庚申塚

前回ここを訪ねた時にお参りにきた谷本さんのおばあちゃんから、いろいろとお話を聞いたが、 今回たまたま撮影中に話を交わしたご老人が、谷本さんの旦那さんであったのは不思議なご縁である。

この谷本家では、オリンピックの年に紫地の幕を奉納されるという。 堂内の花は、近くの花屋さんが奉納しているし、エビハラベーカリーさんも掃除などしているそうである。 昔は、この庚申堂を神田の親戚の人も知っている位に有名であった。 と、瞬時の立ち話となった。

谷本さんのお話からも現在は庚申講こそないが、 いまでも近所の方々の信仰に守られている様子がうかがえる。 これまで、どうしてこの庚申堂やここにある庚申塔が一般に知られていなかったのか、不思議な気がする。

初出

『平成十三年の石佛巡り』(多摩野佛研究会 平成13年刊)所収

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