庚申塔物語

新宿区の庚申塔

新宿区の庚申塔

平成13年7月19日(木曜日)は、台東区の浅草公会堂で開催されている「第22回石仏・道祖神写真展」の帰り道に、 鈴木俊夫さんから『新宿区の文化財 石造品編』(同館 平成12年刊)の発行を聞いていたから、 入手するために新宿歴史博物館(新宿区3栄町22)を訪ねる。 浅草駅から営団地下鉄銀座線に乗車、赤坂見附駅で丸の内線に乗り換えて四谷三丁目駅で下車する。 徒歩8分で博物館に着く。

受付で『ガイドブック 新宿区の文化財 石造品編』(以下『ガイドブック』と略称する)を購入してから、 階下の常設展示場(地下1階)に行き、展示物を見学する。 小型の板碑が4基(暦応3年・永享13年・文明13年・同5年)が展示され、江戸時代の屏風絵に特に興味を持った。 というのは、絵の中に「庚申塚」が描かれていたから。 その他にも「咳止め地蔵」や「かんかん地蔵」「金塚地蔵」「成子地蔵」などの丸彫りの地蔵石佛がみられる。

庚申塚や地蔵などを数字で指定すると、その部分の拡大図が前に置かれた画面に表示される。 庚申塚は25番で、位置的に現在の淀橋庚申堂の辺りである。 中央に丸彫りの地蔵らしい石佛があり、その両脇に石塔が描かれている。この塔が庚申塔と思われる。 それ以上の詳しいことはわからないが、淀橋庚申堂の辺りが庚申塚であったことがわかる。

家に帰ってから、入手した『新宿区の文化財 石造品編』を分析してみる。 先ず『ガイドブック』に記載された庚申塔を一覧表にまとめ、それを編年順に並び換えた。 その上で鈴木さんの『東京都の庚申塔 新宿区』(私家版 平成12年刊)と比較し、 さらに私の庚申塔データ・ーベースと照合した上で、再度、 『ガイドブック』の順に所在地別に並び換えて次のように作表した。

表1.新宿区の庚申塔
元号特徴塔形所在地頁数
寛文4年日月・ニ猿 [註1]光背型筑土八幡町2-1 筑土八幡18
延宝4年日月「奉待庚申現當…」三猿板碑型喜久井町46 来迎寺36
延宝5年(上欠)「庚申供養所願成就」三猿板碑型住吉町10−10 安養寺39
貞享3年日月・青面金剛・三猿柱状型富久町4−5 自証院40
年不明日月・青面金剛・一鬼(笠付型)富久町4−5 自証院40
年不明「庚申講供養寶塔」三猿(笠付型)富久町4−5 自証院41
年不明日月「ウーン奉待庚申」三猿 [註2]板駒型西早稲田1−1 宝泉院45
年不明日月・青面金剛・ニ鶏・三猿 [註3]光背型西早稲田1−1 竜泉院46
大正8年日月・青面金剛・一鬼・三猿柱状型西早稲田1−5 大日堂前
寛文4年地蔵「奉待庚申三年一座…」光背型西早稲田1−7 観音寺47
寛文7年聖観音「奉待庚申供養…」光背型西早稲田1−7 観音寺48
貞享4年青面金剛坐像 [註4]光背型西早稲田1−7 観音寺48
貞享4年「奉待庚申天子」三猿 [註5]板駒型西早稲田2−1 穴八幡
元禄6年「ヒリ 奉待庚申天子」三猿笠付型西早稲田2−1 穴八幡
昭和33年青面金剛・一鬼丸彫西早稲田2−1 穴八幡
年不明日月・青面金剛・一鬼・三猿駒型西早稲田2−1 穴八幡
享保9年日月・青面金剛・一鬼・三猿駒型西早稲田2−1 大安楽寺墓
享保15年三猿「ウーン」柱状型西早稲田2−1 大安楽寺墓
寛文13年日月・青面金剛・三猿 [註6]笠付型西早稲田2−18 子育地蔵51
(参考)享保10年「奉勧請南無帝釈天王」柱状型西早稲田3−16 亮朝院墓地
延宝3年日月「奉供養庚申二世安楽處」三猿笠付型西早稲田3−24 旧夾山寺墓地
貞享3年日月「奉待庚申…」三猿 [註7]板駒型高田馬場1−12 諏訪神社57
寛文5年日月「(種子)奉待庚申…」三猿笠付型高田馬場1−13 玄国寺59
延宝3年「奉待庚申諸願成就攸」三猿光背型高田馬場1−12 玄国寺59
宝永7年日月・青面金剛・一鬼・ニ鶏・三猿笠付型高田馬場1−13 玄国寺60
年不明日月・青面金剛・三猿(万歳型)光背型高田馬場1−13 玄国寺60
寛文6年「奉待庚申諸願成就所」三猿板碑型高田馬場3−36 観音寺62
正徳4年日月・青面金剛・一鬼・ニ鶏・三猿笠付型高田馬場3−36 観音寺62
享保2年日月・青面金剛・三猿光背型若葉2−2 東福院70
年不明(上欠)(青面金剛)不明若葉2−2 東福院
延宝8年日月・青面金剛・御幣一猿光背型若葉2−8 愛染院73
元禄2年日月・青面金剛・三猿光背型若葉2−8 愛染院74
天和2年三猿光背型須賀町10 宗福寺78
年不明「南無阿弥陀佛」三猿光背型4谷4−34 東長寺88
年不明日月・青面金剛・三猿板駒型新宿4−3 天龍寺106
年不明日月・青面金剛・三猿柱状型新宿4−3 天龍寺106
寛文8年3面三猿柱状型新宿6−20 専念寺110
元禄11年日月「奉寄□庚申」三猿駒型新宿7−11 永福寺116
昭和29年日月・青面金剛・一鬼・三猿・蓮華駒型西新宿5−23 淀橋庚申堂
寛文12年来迎弥陀「奉供養庚申講…」三猿光背型大久保1−16 全龍寺119
年不明(青面金剛)柱状型大久保1−16 全龍寺120
年不明三猿笠付型北新宿3−1 金塚地蔵125
享保6年狛犬1対「奉造立庚申供養」丸彫北新宿3−16 鎧神社126
寛文5年合掌一猿「(種々)奉信敬庚申石塔…」光背型北新宿3−23 円照寺 [註8]
正保4年「奉造立庚申待 大願成就」宝篋印塔上落合1−26 月見岡八幡139
寛文8年地蔵「奉納庚申供養」光背型上落合3−4 最勝寺
寛政9年日月「庚申神」ニ鶏・三猿駒型上落合3−4 最勝寺
慶応3年日月・青面金剛・一鬼・ニ鶏駒型上落合3−4 最勝寺142
文化13年日月・青面金剛・一鬼・三猿駒型下落合2−8143
宝永2年日月・青面金剛一鬼ニ鶏三猿ニ童子光背型下落合4−8 薬王院146
宝暦8年日月「(種々)庚申青面金剛塔」三猿板駒型中井2−29 御霊神社148
宝暦11年日月・青面金剛・一鬼・ニ鶏・三猿柱状型西落合1−11 自性院150

表中の無印は、新宿歴史博物館の『ガイドブック』(同館 平成12年刊)を表し、 △印が鈴木さんの『東京都の庚申塔 新宿区』(私家版 平成12年刊)、 ◎印が私の「淀橋庚申堂」『庚申』第112号(庚申懇話会 平成13年刊)を示している。 前記の『ガイドブック』では、江戸期を対象として明治以後は特別の場合を除いて掲載していない。

参考までに、文献や調査報告書にあって現存しない庚申塔は次の通りである。

表2.文献や調査報告書にあって現存しない庚申塔
元号特徴塔形所在地頁数
万治2年日月「願以此功徳普及…」三猿板碑型西早稲田2−1 穴八幡1
寛文12年不聞猿「奉待庚申現当二世安楽祈所」燈籠旧角筈3 長楽寺 [註9]2
延宝5年日月「奉供養庚申」御幣猿光背型旧・柏木1丁目 子育地蔵3
延宝8年日月・御幣猿光背型旧・柏木1丁目 子育地蔵3
天和2年日月・青面金剛「庚申供養…」光背型旧・柏木1丁目 子育地蔵3
元禄11年青面金剛不明旧・柏木1丁目 子育地蔵4
元禄2年「奉造立庚申供養石塔一…」駒型旧・柏木 鎧神社付近3
元禄5年「奉造立燈籠庚申供養成就所」燈籠旧・柏木 鎧神社3
年不明青面金剛・ニ鶏・三猿不明旧・東大久保3423
延宝4年「奉修庚待二世安楽」三猿板碑型旧・東大久保 大久山3
元禄12年日月「奉供養庚申一座塔」三猿板駒型旧・東大久保 西向天神3
宝永5年日月・青面金剛・三猿「奉納庚申供養」板駒型旧・東大久保 西向天神3
享保7年(不明不明旧・西大久保1883
享保5年「奉造立庚申供養」一鶏・一猿燈籠旧・西大久保 植木屋3

表中の「出典」欄の1は新宿区教育委員会『石仏と石造品』(同会 昭和56年刊)を指し、 2が清水長輝『庚申塔の研究』(大日洞 昭和34年刊)、3が山中共古『共古随筆』(温古書屋 昭和3年刊)、 4が武田久吉『路傍の石仏』(第一法規 昭和46年刊)を示している。

初出

『平成十三年の石佛巡り』(多摩野佛研究会 平成13年刊)所収

Copyright © 2004 民俗の宝庫 All Rights Reserved.