平成12年7月6日(木曜日)は、文京・新宿・渋谷の都内三区にある改刻塔を巡る。
6月末に受け取った日本石仏協会の会誌『日本の石仏』第94号に、 第96号「神社の石造物」特集の原稿募集が94頁に載っていた。 そこで「神社石造物の改刻─牛天神と諏訪神社の場合─」 を書こうと考えて、 先に発表した『野仏』第31集(多摩石仏の会 平成12年刊)の「牛天神の庚申塔」に他の改刻塔を加えて構想を練った。 7月1日(土曜日)には、1日かけて原稿を書き上げた。 しかし原稿は9月末日が締切りなので、時間的な余裕がまだ充分ある。 第1稿には心もとない点がみられたから、 もう一度これらの塔をじっくりみてから決定稿をまとめようと、改めて改刻塔を巡りを企てた。
(文京区・牛天神の部分は省略する)
牛天神から新宿区筑土八幡町2番1号の筑土八幡社に向かう。この神社も裏手から境内に入る。 ここにあるニ猿塔も、各書に紹介されて著名である。 ただこの塔が庚申塔であるかどうかの判定については、研究者の間で意見がわかれている。
表1.-1がそれで、 立って右手で桃の枝を持っている牡猿(像高86センチ)とうずくまって桃を持って座る猿(像高56センチ)に桃の木を配している。 牡猿は性器をさらしてはっきりしているが、他の猿は足を揃えた横向きで雌雄が不明である。
上部は日月・瑞雲がみられるが、これと塔上部の27センチは旧来の部分を残したようにみえる。 その下の猿や桃のバックは梨地で、日月のバックとは彫り方が異なる。 この点が作為的で、いかにも改刻を思わせる。
この塔の塔型や法量からみて、寛文期の造立はうなずける。 従って、闇雲に両側面に「干時(異体字)寛文四甲辰年」「閏五月廾九天」と刻んだのではなく、 旧来の塔の造立年銘を刻んだ可能性が高い。しかし、
- 桃と猿の関係は元禄以後
- 地肌を梨地にする手法は江戸末期
- 光背型塔の荒削りの側面に年銘を刻まない
などと清水長輝さんが挙げるような理由から、江戸末期の推定は妥当である。 恐らく上部の日月と基部の施主銘を残して、塔の中央部分を現在のニ猿と桃の木の図に改刻し、 旧来の年銘を残したものと想像される。
帰りは石段をおりたが、途中の右手にこの塔の解説板がみられる。 これには区登録の文化財(建築物)の石造鳥居の解説の後に、
新宿区指定有形民俗文化財
庚申塔 ※この石段を上って右側にあります。
指定日 平成九年三月七日
寛文四年(一六六四)に奉納された舟型(光背型)の庚申塔である。高さ186センチ。 最上部に日月、中央部には一対の雌雄の猿と桃の木を配する。 左側の牡猿は立ち上がり実の付いた桃の枝を手折っているのに対し、 左側の牝猿はうづくまり桃の実を持っている。
二猿に桃を配した構図は全国的にも極めて珍しく、大変貴重である。
平成九年五月 新宿区教育委員会
と記され、この塔を写した写真を掲げている。
JR飯田橋駅に戻って中央線・山手線を乗り継いでJR高田馬場駅で下車、 新宿区高田馬場1丁目12番6号の諏訪神社を訪ねる。境内には、表1.-2がある。 上部には日月、下部には像高20センチの三猿を配す。 中央には「奉待庚申供為二世安楽也」の主銘、 その左右には「干時貞享五年(異体字)」「戊辰九月廾七日」の年銘を記し、 三猿の下には9人の施主銘が刻まれている。
今回はこの塔が目的ではなくて、表1.-2の庚申塔に前方にある、 表1.-3が調査の対象である。
庚申塔は写真だけで済ませて、塞神塔を50分ほど時間を掛けて観察する。 ここでもルーペが役立つ。 頂部中央に刻まれた「奉造立地蔵菩薩」と「為二世安楽□□」の銘文を苦労して読む。 □□の2字は「祈所」なのかもしれない。後で廻った渋谷・東福寺の地蔵庚申をみて、この塔が地蔵の立像─ 恐らくは宝珠と錫杖をとる延命地蔵と考えられる─を陽刻する塔ではなかったか、と推測した。 そうならば、蓮台の上が端から塔身との幅が10センチあってもおかしくない。
この塔は、塔型や法量からみて天和2年の年銘が妥当である。 現在の塔では、左端の半分より下に「天和二壬戌年三月吉祥日」の年銘が刻まれているが、 先の筑土八幡社の寛文4年塔と同様に本来の年銘が消され、 旧来の塔のものが後刻されたと考えられる。
年銘の下にある「御手洗從□」の銘は、「塞神三柱」の主銘を書いた方ではないだろうか。現在の ところこの人物について調べていないが、この神社の宮司など神道関係者と推測され、これが改刻の 年代を明らかにする手掛かりになる、と考えられる。
いずれにしても天和3年銘の「塞神三柱」塔は、 基部の蓮葉模様を両側面に残しながら正面を削り取り、想像の域を出ないが、 地蔵菩薩立像を削り落として「塞神三柱」の主銘とその両横に 「諏訪上下大明神」「正八幡大明神」「天(以下欠失)」「稲荷大明神」の銘文を刻んだ改刻塔である。
(渋谷区・東福寺と豊栄稲荷の部分は省略する)
ここの豊栄稲荷をを最後に、JR渋谷駅から帰途につく。
No. | 年銘 | 塔形 | 寸法 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 寛文4年 | 光背型 | 160×67 | 日月・ニ猿 |
2 | 貞享5年 | 光背型 | 91×39 | 日月「奉待庚申供為二世安楽也」三猿 |
3 | 天和2年 | 光背型 | (計測忘れ) | 日月「塞神三柱」 |
『平成十二年の石佛巡り』(多摩野佛研究会 平成12年刊)所収