庚申塔物語

第97回石仏談話室

第97回石仏談話室

平成12年12月2日(土曜部)は、2000年最後となる石仏談話室に出席する。 会場は、例によって新宿区百人町1丁目の水族館3階である。 会場についたのが午後1時30分、すでに佐藤不ニ也さんなど数人が話し合っている。

今回は、思いがけず春日部の中山正義さんがみえる。 最近、作成された「千葉県延宝の庚申塔仮年表」とその中から青面金剛を抜き出した年表をいただき、 千葉県沼南町片山の昭和庚申年塔の教示を受ける。

(以下、栗田直次郎さんの発表部分を省略する)

予定より短めに休憩を終え、私の出番となる。4時から坂口さんから紹介の後で、 今回の演題「神社石造物の改刻」について話す。 最初に「改刻」と「追刻」の違いにふれてから、 今回は双方向性と文献の現物紹介を中心にして話をすすめる旨を話す。 個々の事例についての詳細は、今月末に発行される『日本の石仏』第96号に発表する論考に譲り、 そこでふれなかった事柄や裏話、投稿後の話を付け加えることにする。

ここで「双方向性」でといったのは、話し手が一方的に話すのではではなく、 話し手と聞き手がやりとしながら、たがいに質問や感想を述べあうのが談話室的であると考えたからである。 なかなかこうした機会が少ないのではなかろうか。 文献の現物紹介は、例えば『庚申』のように会に属した一部の人たちの間でしか知られていない雑誌などを現物でみていただきたかったのが理由である。

双方向性については、参加された庚申懇話会メンバーの中山さんや佐藤さんが質問や補足で座を盛り上げていただいたので、 和やかに話がすすめられた。 ニ人以外では、おそらく庚申懇話会の会誌『庚申』を手にしたことはないだろう。 その意味でも、双方向性と文献の現物紹介が効果があったのではなかろうか。

今回「神社石造物の改刻」を話すに当たって、次のようなレジメを用意した。

  • 日本石仏協会主催の写真展「石仏の魅力」が文京区春日・文京シビックセンター開催され、平成12年5月18日(木曜日)の写真展初日へ行ったのが発端
  • 石川博司 「牛天神の庚申塔」『野仏』第31集(多摩石仏の会 平成12年刊)
  • 『日本の石仏』第94号で第96号特集「神社の石造物」の原稿募集
  • 平成12年7月6日(木曜日)と11日(火曜日)に都内3区にある改刻塔を巡る

改刻塔発見の歴史

〔前 史〕
  • 三輪善之助『庚申待と庚申塔』(不2書房 昭和10年刊)の「庚申塔の僞物」指摘
  • 東京市澁谷の金王八幡神社の隣の東福寺に文明2年庚寅年に造立したる銘記ある庚申塔が2基あるが、此2基共に全くの僞造物であって精々江戸時代の寛文頃より上らないものであることは既に一般識者の認むる處である。(72頁)
〔本 史〕
  • 荒井広祐さんの昭和39年6月の庚申懇話会例会での発表
  • 熊谷市と行田市周辺に分布する庚申塔が塞神塔に改刻された経緯についての発表があり、平田篤胤門下の木村御綱が忍藩領の社寺掛を勤め、その指導によって庚申塔が塞神塔に改刻された事実を指摘する。
  • 秋山正香「武州忍領界隈における塞神塔について」『庚申』第39号 昭和40年刊
  • 横田甲一「庚申塔の改刻及び追刻」『庚申』第40号 昭和40年刊
  • 横田甲一「東京都渋谷東福寺文明紀年銘塔に就いて」『庚申』第50号昭和42年刊
  • 荒井広裕「塞神塔」(『日本石仏事典』 雄山閣出版 昭和50年刊)132頁
  • 在来の庚申塔の表面を削除して「塞神」の文字を刻んだ塞神塔が埼玉県行田市周辺に多い。(中略)これは明治初年に忍藩領の行った神仏分離政策の落とし子である(後略)
  • 石川博司「西多摩石仏散歩」『野仏』第23集 多摩石仏の会 平成4年刊 16頁
    追刻の例 西多摩郡檜原村白光の文化11年青面金剛・猿田彦刻像塔
  • 石川博司『多摩庚申塔夜話』 ともしび会 平成9年刊 68・69頁
    改刻の例 青梅市御岳2丁目滝本路傍の宝永6年「猿田彦大神」塔
    あきる野市寺岡路傍の安永3年「猿田彦大神」塔
  • 山口義晴「改ざんの塞神塔」『日本の石仏』第86号 日本石仏協会 平成10年刊
  • 縣敏夫『図録 庚申塔』 揺籃社 平成11年刊

牛天神の笠付塔

  • 文京区春日1−5・牛天神(北野神社)の年不明「道祖神」塔
  • 清水長輝『庚申塔の研究』 大日洞 昭和34年刊 写真・三鶏の例・塔の説明
  • 武田久吉『路傍の石仏』 第1法規 昭和46年刊 226頁
  • 縣敏夫『図録 庚申塔』 揺籃社 平成11年刊 224頁
    1. 塔型が延宝もしくは元禄を下らない様式であるのに江戸後期より現れる道祖神文字塔として不自然である。
    2. 「道祖神」の文字は旧刻字を削って彫った痕跡が認められる。
    3. 「道祖神」の文字そのものに新しさを感じる。

諏訪神社の光背塔

  • 新宿区高田馬場1丁目12番・諏訪神社の天和3年「塞神三柱」塔
  • 石川博司「多摩地方の塞神」『日本の石仏』第86号 日本石仏協会 平成10年刊
    この光背型塔は、どうみても改刻塔である
  • 山口義晴「改ざんの塞神塔」『日本の石仏』第86号 日本石仏協会 平成10年刊

筑土八幡神社の光背塔

  • 新宿区筑土八幡町2番1号・筑土八幡神社の寛文4年ニ猿塔
  • 清水長輝『庚申塔の研究』(大日洞 昭和34年刊)159頁参照
  • 寛文4年という年紀はにせもので、おそらく江戸末期の作であろう
    1. 桃と猿の関係は元禄以後
    2. 地肌を梨地にする手法は江戸末期
    3. 光背型塔の荒削りの側面に年銘を刻まない
    これは江戸末期の好事家がつくった戯作で、庚申塔ではあるまい
  • 縣敏夫『図録 庚申塔』(揺籃社 平成11年刊)172頁参照
  • 岡村庄造 平成12年10月16日付け来信
    1. 図説にある「抹消した痕跡」があるのは認められない
    2. ニ猿の構図は江戸中後期の感がある
    3. 改刻の意図・改刻の方法・原形・台座・画像などに疑問がある

むすび

石佛調査では、単純に石塔に刻まれた銘文だけを表面上でとらえていては、誤りを犯す結果となる。 また石造物を漠然とみていてはいろいろな兆候を見逃すから、 時間をかけてじっくりと観察すると思わぬ事実が明らかになる。 机上の予測や推測が必要ではあるが、何といっても現物に当たることが最も重要である。 不審な点があれば、どこまでも追求する必要があり、これが改刻などの発見にもつながる。

以上のようにレジメとしては書き過ぎであるが、 文献名などをメモせずに話に集中できると考えたからである。

今回は、『庚申塔の研究』(大日洞 昭和34年刊)の原本ではなくて復刻版(名著出版 昭和63年刊)をもってきた。 私はその著書を書かれた清水長輝さんとは文通はしていたが、生前お会いする機会がなかった。 中山さんは、清水さんのお宅を訪ねてこの本を入手している。 この時に話のやり取りで、著者が改刻(三郷市の猿田彦寛文塔)に関連して再版をためらった裏事情を中山さんから明かしていただいた。

栗田さんが先刻の説明に使われた筑土八幡のニ猿塔の写真を再度映写し、 私の説明を補足させていただいたり、中山さんの裏話など予想以上に双方向性で効果を上げられたと思う。 今回の一つの目的が「改刻談義」を通じて、身近な石造物のなかにも改刻、 あるいは追刻があるのを知っていただき、3基の事例の現物を自分の眼で確かめるきっかけとなればよいと考えた。

5時15分過ぎに私の話がおわってから、初めて参加された方々が自己紹介がある。 中でも野村さんは親や息子も代々の石工で、 次回の来年2月に「江戸石工よもやま話」を話される予定になっている。 2月12日(振替休日)に日本石仏協会の総会が開催されるなどの各種の連絡事項が話され、散会する。

帰りの電書の中で、ふと『石仏調査ハンドブック』(雄山閣出版 昭和59年刊)で改刻について書いたことを思い出した。 家に帰って調べると、72頁に渋谷・東福寺の地蔵庚申の年銘部分を拡大した写真を載せ、 次頁で三輪善之助と横田甲一両氏の業績にふれている。 何故、もっと早く気付かなかったのだろう。

付記

6日に別の調べで『日本石仏図典』(国書刊行会 昭和61年刊)をみていたら、 たまたま清水長明さんが担当された「塞神塔」の項目に出会った。 塞神塔の説明(128頁)の中で「改刻塔ではなく、安永・天明ごろから明治初期にかけて、 新しく造立された塞神塔も少ない」としながらも、 高田馬場・諏訪神社の塞神塔の写真を同頁に掲げて「近代改刻」、と指摘している。 早くからこの塔の改刻に気付いていたことがわかる。

『日本石仏図典』で庚申塔については清水さんと私、道祖神については松村雄介さんが担当されたから、 牛天神の塔にはふれずに塞神塔のところで改刻について書いたのであろう。 これからみてれも、清水さんが改刻塔を早くから追いかけていたことがうかがわれる。 これに気がつかなかったのも迂闊であった。

清水さんが改刻に関心があったのも、庚申懇話会の例会で荒井広祐さんの発表を聞いておられたからだし、 横田甲一さんと交流が深かったことも作用している。 永年にわたって各地を調査されている割には、『相模道神図誌』や『下総板碑』を出されてはいるが、 雑誌などに書かれたものが少ない。 編集者としての長い経歴があるだけに、常に裏方にまわっていたいたことが影響しているのかもしれない。 それにしても、これまでの調査研究を是非とも発表してほしものである。

初出

『平成十二年の石佛巡り』(多摩野佛研究会 平成12年刊)所収

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