庚申塔物語

大日主尊の庚申塔

大日主尊の庚申塔

庚申塔には、じつにさまざまな主尊が登場する。東京都の場合を見ても、釈迦如来・薬師如来・阿 弥陀如来・大日如来・聖観音・馬頭観音・如意輪観音・卅四所観音・勢至菩薩・地蔵菩薩・不動明王 ・倶利迦羅不動・閻魔・仁王・帝釈天・狛犬・猿田彦・青面金剛・猿とさまざまである。神奈川県で は、聖徳太子や双体道祖神が主尊となるものがあり、鹿児島県では、水天や田の神がみられる。こう した多種の主尊の中では、青面金剛の6手立像が圧倒的に多いのは、いうまでもない。ここでは、大 日如来を主尊とした庚申塔を紹介しよう。

大日如来は梵名をマハ−ヴァイロチャナといい、摩訶毘盧遮那と音写される。摩訶は大・多・勝、 毘は普遍・広博・高顕、盧遮那は光明・美麗・与楽の意味を持つところから最高顕広明眼蔵如来、無 量無辺竟如来、広博身如来、あるいは一切法自在牟尼などの異名を持つ。太陽の威力をさらに上回る 大光明を備えるところから大日如来と称する。密教では、最高至上の仏であり、すべての諸仏諸菩薩 はこの如来より生じ、すべての働きもこの如来の徳とされる。その形像は、如来としては例外の菩薩 形に作る。胎蔵界大日如来は法界定印、金剛界大日如来は智拳印を結ぶ。

大日如来を主尊とした庚申塔で、最も知られているのは、東京都台東区浅草・銭塚地蔵境内にある 承応3年塔である。髪髻冠をいただいき、法界定印を結ぶ胎蔵界大日座像を光背型塔の中央に浮彫り し、その下に横向きの合掌一猿と一鶏を陽刻する。頂部に「ア−ンク」の種子を彫り、冠の左右に浮 彫りの日月をおく。像の左右には「奉造立大日如来尊形一宇所 大日一念三千金剛三密百界一如 皆 是大日矣爰以酬庚申供養」「悉立此尊者也因茲信心施主 等現者待無病自在徳當者 三五智明朗之覺 位而 承応三甲午暦四月□□」の銘文があり、基部には「鬼澤弥左衛門」など16名の施主銘と「石 仏師 斉藤七左衛門」を記す。

胎蔵界大日を主尊とする塔は、神奈川県横浜市保土ヶ谷区今井町・金剛寺境内にもみられる。光背 型塔の頂部に「ア」字、その下方左右に陰刻の日月、中央に大日浮彫り座像、その下に三猿を陽刻す る。座像の左右に「元禄十丁丑年」「十月十三日」、三猿の右に「左江かまくら道」、下部に施主銘 9名の氏名を記している。

まだ調べていないけれども、武田久吉博士の『路傍の石仏』(第一法規 昭和46年刊)によると、 山梨県富士吉田市の吉田口登山道2合目に笠付型塔があり、正面に胎蔵界大日座像、両側面に聖観音 と青面金剛を浮彫りする。台石に三猿がある。大日の首の左右に「諸願成就」、下に7人の氏名、そ の外側に「宝永四丁亥年六月十七日 武州御茶水 暮沢善兵衛講中」と記すという。

胎蔵界大日の種子は、「ア」あるいは「ア−ンク」で、「ア」字を主尊の座に置く庚申塔が、東京 都東大和市奈良橋・雲性寺にある。隅丸型塔の上部に、蓮華座に乗る月輪に「ア」を刻み、下に塞目 ・塞耳・塞口の三猿を陽刻する。裏面に「正徳六丙申三月 法印傳栄」の銘がみられる。

法界定印の胎蔵界大日ばかりでなく、智拳印を結ぶ金剛界大日も庚申塔の主尊として登場する。千 葉県流山市流山8丁目の江戸川堤下には、寛文6年の丸彫り金剛界大日立像がある。「奉造立庚申供 養衆二世成就処」の銘を刻む。

神奈川県津久井郡藤野町上河原・東照権現跡に笠付型正面中央に智拳印を結ぶ座像を半肉彫りし、 下部に三猿を陽刻する延宝8年塔が見られる。両側面と裏面に「相州津久井郡佐野川之内道常村」「 奉造立南無山王権現当村善男子善女人念佛之供養為現世安穏後生善所也」「干時延宝八庚申十月吉祥 日」の銘文を記す。

東京都町田市図師町日向の路傍には、正面中央に金剛界大日を浮彫りした笠付型塔が建っている。 正面と両側の3面下部に猿を配置する。両側面に「奉造立青面金剛尊」「元禄貮己巳天十月吉祥日」 の銘文が刻まれているところから、元禄の頃にこの一帯に普及してきた青面金剛の影響を受けて、青 面金剛として大日を造像したものと思われる。

同じ町田市内には、三輪町下三輪に寛文9年の庚申石祠があり、中尊が智拳印の大日座像である。 石祠室部前面には「ア」字と二鶏二猿、「奉造立庚申供養二世安楽」「寛文九己年十二月□日」、右 側面に「供養同行七人敬白」と「斉藤平兵衛」など8人の氏名、左側面に一猿と「武州多摩郡 田之 庄下三輪邑」の地銘を刻む。下部には「下三輪村」の銘が見られる。

千葉県教育委員会発行の『千葉県石造文化財調査報告』(昭和55年刊)によると、同県葛飾郡沼南 町手賀柏作に大日如来と三猿の刻像がある寛文8年塔の報告が載っている。印相が明らかでないので 金・胎いずれか不明である。

加藤和徳氏の『入間郡東部 路傍の庚申塔集録』(私家版 昭和45年刊)には、埼玉県富士見市水 子山崎の年不明塔が報告されている。板駒型塔の上部に瑞雲を伴う日月を浮彫りし、中央に「大日如 来」の主銘、下部前面に三猿を厚肉彫りする。

以上に見てきたように大日如来の刻像塔や種子塔、あるいは文字塔の中に庚申供養の造塔がある。 庚申塔の中では、きわめて稀な数ではあるけれども、まだ発見される可能性がある。庚申懇話会の芦 田正次郎さんから聞いたところでは、千葉県流山市内にもう1基あるらしい。

庚申縁起の中に「庚申の日は青面金剛を上首とし、大日如来阿しゆくほうしやう弥陀釈迦云々」と か、「文殊菩薩・薬師如来・大日如来を本尊として、過去七仏をねんじ給ふべし」、あるいは「庚申 ノ表ヲ拝シ奉レバ三方荒神、御信躰ハ十一面観世音、内証ヲ尋奉ルニ金胎両部ノ大日ノ尊影也」(窪 徳忠博士『庚申信仰の研究』 学術振興会 昭和36年刊)のように、大日如来にふれた部分がある。 こうした庚申縁起がどの程度、大日如来主尊の庚申塔建立に係わりがあっのか明らかではないけれど も、造塔の背後には、密教系の僧侶などの指導があったと思われる。しかし、町田市図師町の元禄2 年塔の場合には、大日如来を青面金剛と誤解している節がみられるから、かならずしも指導者だけの 問題でもなさそうである。

昭和56年3月22日 記

初出

『野仏』第13集(多摩石仏の会 昭和56年刊)所収

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