庚申塔に刻まれた主尊を調べてみると、「庚申さま」として一般に知られている青面金剛以外にも いろいろな仏・菩薩・明王・天などが登場する。これが、庚申塔を追いかける魅力の一つとなってい る。おそらく、庚申塔の主尊が青面金剛だけに限られていたならば、庚申塔に対する興味も半減する であろう。
清水長輝氏は江戸周辺の庚申塔を分析し、造立年代を4期に区分している(『庚申塔の研究』)。 特に「初期時代」、あるいは「混乱時代」ともいえる第2期の元和から延宝年間には、さまざまな主 尊が塔面に現れている。いわば「諸尊乱立時代」といえる。そうした中で、これから話を進める観世 音菩薩が見出される。
観音世菩薩は、現世では卅三のお姿に変身して衆生を救ってくれるというので、地蔵菩薩と並んで 庶民の間で広く信仰されてきた。卅三現身の考えは、いろいろな変化観音に発展し、さらに卅三所観 音や卅三観音を生んだ。中でも西国・番頭・秩父の卅三所の観音霊場は有名で、秩父霊場に1所加え て百番観音とした。このような観音信仰の現れが、諸尊乱立する時期に庚申塔に見出されても不思議 ではないだろう。
さて、都内にはどのような観音庚申塔が見られるだろうか。手元にある資料によってみることにし よう。まず、造立年代順にあげると、
No. | 年銘 | 形態 | 塔形 | 所在地 |
---|---|---|---|---|
1 | 承応2年 | 聖観音 | 石幢 | 杉並区梅里1-4 西方寺 |
2 | 寛文3年 | 聖観音 | 光背型 | 大田区田園調布1-37 密蔵院 |
3 | 寛文4年 | 聖観音 | 丸彫 | 杉並区成田東4-17 天桂寺 |
4 | 寛文4年 | 聖観音 | 光背型 | 足立区綾瀬4-9 観音寺 |
5 | 寛文5年 | 聖観音 | 光背型 | 文京区小石川3-2 福寿院 |
6 | 寛文7年 | 聖観音 | 光背型 | 新宿区西早稲田1-7 観音寺 |
7 | 寛文8年 | 聖観音 | 光背型 | 台東区根岸3-9 根岸小学校 |
8 | 寛文8年 | 如意輪 | 光背型 | 練馬区旭町1-20 仲台寺 |
9 | 寛文8年 | 聖観音 | 光背型 | 江戸川区長島町199 自性院 |
10 | 寛文8年 | 聖観音 | 光背型 | 文京区小日向2-17 大日堂 |
11 | 寛文9年 | 聖観音 | 光背型 | 杉並区高円寺南2-39 鳳林寺 |
12 | 寛文12年 | 聖観音 | 光背型 | 板橋区赤塚5-26 観音堂 |
13 | 寛文12年 | 聖観音 | 光背型 | 台東区浅草7-4 待乳山聖天院 |
14 | 寛文13年 | 聖観音 | 光背型 | 荒川区南千住6-60 素戔雄神社 |
15 | 延宝6年 | 聖観音 | 光背型 | 文京区大塚4-49 大塚公園 |
16 | 延宝6年 | 如意輪 | 板碑型 | 荒川区南千住6-60 素戔雄神社 |
17 | 延宝8年 | 如意輪 | 光背型 | 北区神谷3-45 自性院 |
18 | 貞享3年 | 聖観音 | 光背型 | 墨田区東向島3-2 子育地蔵 |
19 | 元禄1年 | 聖観音 | 光背型 | 北区堀船町3 福性寺 |
20 | 元禄3年 | 如意輪 | 光背型 | 北区神谷3-45 自性院 |
21 | 元禄4年 | 聖観音 | 光背型 | 板橋区成増4-3 |
22 | 元禄4年 | 如意輪 | 光背型 | 北区神谷3-45 自性院 |
23 | 元禄5年 | 聖観音 | 光背型 | 板橋区成増4-22 墓地 |
24 | 元禄12年 | 聖観音 | 丸彫 | 大田区山王1-6 円能寺 |
25 | 元禄13年 | 聖観音 | 光背型 | 足立区綾瀬1-14 薬師寺 |
26 | 宝永6年 | 如意輪 | 光背型 | 北区豊島町4 下道地蔵堂 |
27 | 宝永7年 | 馬頭 | 光背型 | 板橋区大原町40 長徳寺 |
28 | 享保5年 | 卅四所 | 板駒型 | 江戸川区東瑞江2-27 下鎌田地蔵堂 |
29 | 安永8年 | 馬頭 | 駒型 | 東村山市久米川・野行 |
30 | 不明 | 聖観音 | 光背型 | 文京区根津1-28 根津神社 |
の30基である。これを観音別に造立年代に従って作表したのが表1である。全体をみても、観音庚 申塔が造立されたのは、寛文から元禄までの時期が主体であることがわかろう。特に寛文期と元禄期 にピークがみられるが、延宝以降、青面金剛が普及し、造立されると、再び寛文期のような造塔はな くなる。
元号 | 聖観音 | 如意輪 | 馬頭 | 卅四所 | 計 |
---|---|---|---|---|---|
合計 | 21 | 6 | 2 | 1 | 30 |
承応 | 1 | 1 | |||
寛文 | 12 | 1 | 13 | ||
延宝 | 1 | 2 | 3 | ||
貞享 | 1 | 1 | |||
元禄 | 5 | 2 | 7 | ||
宝永 | 1 | 1 | 2 | ||
享保 | 1 | 1 | |||
安永 | 1 | 1 | |||
不明 | 1 | 1 |
聖観音主尊のものは、主として寛文期にみられるから、根津神社の年不明塔もその頃に造立された と考えられる。現在、私の知る限りでは、聖観音を主尊とした最古の庚申塔は、千葉県東葛飾郡浦安 町(現・浦安市)堀江・大蓮寺の正保3年塔である。東京では、それより7年遅れて承応2年に造立 されたわけである。なお、この承応2年の石幢は、6面に六観音を配するものであるが、聖観音の面 に「此一躰者庚申為供養」とあるので、六観音のうち聖観音だけを主尊とみた。
如意輪観音主尊のものは、聖観音のものより造立年代が遅く、塔数も少ない。この傾向は、東京ば かりではないであろうし、他県ではあまりこの種の主尊はみられない。神奈川県川崎市北加瀬・寿福 寺の寛文9年塔が知られている。
馬頭観音は2例、秩父卅四所観音は1例と、きわめて少なく、造立年代も宝永以降と聖観音や如意 輪観音に比較して新しい。特に下鎌田地蔵堂の卅四所観音を主尊としたものは珍しく、この種の庚申 塔の報告は見当たらない。
次に都内30基の観音庚申塔を所在地別に作表したのが表2である。現在、板橋区にある仲台寺の 塔は、北区より移転したもので、表2では北区に加えてある。
区市 | 聖観音 | 如意輪 | 馬頭 | 卅四所 | 計 |
---|---|---|---|---|---|
合計 | 21 | 6 | 2 | 1 | 30 |
北 | 1 | 5 | 6 | ||
板橋 | 3 | 1 | 4 | ||
杉並 | 3 | 3 | |||
文京 | 3 | 3 | |||
台東 | 3 | 3 | |||
大田 | 2 | 2 | |||
足立 | 2 | 2 | |||
荒川 | 1 | 1 | 2 | ||
江戸川 | 1 | 1 | 2 | ||
新宿 | 1 | 1 | |||
墨田 | 1 | 1 | |||
東村山 | 1 | 1 |
表2を見て気のつく点は、如意輪観音を主尊としたものは、北区に集中し、隣接する荒川区に1基 みられるように、極めて狭い範囲の造立である。これに対して聖観音の場合は、板橋・杉並・文京・ 台東を中心に、隣接した区にも分布がみられる。
もう一点、観音庚申塔の分布が東村山市の1市を除いて多摩地方にみられない点は注意する必要が あろう。原因は、いくつか考えられるが、区部に比べて庚申塔の造立年代が遅く、青面金剛の普及後 の造塔が多いことがあげられよう。
沖本博氏の「房総の初期庚申塔について」(『千葉県の歴史』第16号)によると、千葉県の寛文 期の庚申塔に十一面観音を主尊としたものが報告されている。また、吉田富雄氏は、十一面観音の木 像に「(キャ)庚申」と刻まれた例を報告(『庚申』第53号)しているから、都内でも十一面観音 主尊の庚申塔が発見される可能性がないとはいえない。しかしながら、現在まで明らかなものは、聖 観音・如意輪観音・馬頭観音・秩父卅四所観音の4種30基である。
著者名 | 著書名 | 発行年 |
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清水長輝 | 『庚申塔の研究』 | 昭和34年刊 |
平野栄次 | 『大田区の民間信仰 庚申信仰編』 | 昭和44年刊 |
杉並区教育委員会編 | 『杉並の石造物──民間信仰』 | 昭和48年刊 |
板橋区教育委員会事務局社会教育課編 | 『庚申塔──いたばしの石造文化財』 | 昭和52年刊 |
『野仏』第11集(多摩石仏の会 昭和54年刊)所収