犬も歩けば棒に当る、である。昨年(昭和60年)8月に私は、広島県三原市中之町・東光寺墓地で元文5年造立の「庚申基」塔を見た。一瞬「庚申墓」かと疑ってみたけれども、やはり「庚申基」に間違いなかった。これまで見たこともない庚申系の文字塔である。
今年の2月には、多摩石仏の会例会で神奈川県中郡二宮町を回った。その時に龍沢寺墓地で見た寛文7年の「過去現在未来」塔と延宝3年の「三世不可得」、さらに天和元年の「病即消滅不老不死」塔の主銘は、今まで話題にならなかったのが不思議なくらい珍しいものである。早くから一般に知られていた秦野市尾尻・寿徳寺にある寛文元年の「真如法界」塔や小田原市上曽我・中河原にみられる寛文2年の「無功徳」塔などに匹敵する。
塔面に「庚申」や「庚申塔」、あるいは「庚申供養塔」などの主銘が彫られた文字塔が一般的であるが、比較的に早い時期に造立された塔では長い主銘が刻まれている。東京都の区部を例にとれば、「奉待庚申十六仏成就供養所」や「奉待庚申講衆供養二世成就所」、または「為庚申待意趣二世安楽也」「奉造立石塔一基現当二世安楽攸」「奉造立庚申待一座供養各一結現当安楽所」などのように長いものが多い。
「庚申」系統の文字塔を集めてみると、前記以外のものも多く、ヴァライティに富んでいる。「庚申塚」「庚申墳」「庚申碑」「庚申灯「庚申尊」「庚申講中」「庚申仏」「庚申神」「甲神当」「甲申塔」「庚甲塚」「五庚申」「七庚申」「百庚申」「千庚申」などがみられる。この中で100庚申の一石文字塔では、単に「百庚申」と彫ったもが多いが、群馬県下では「庚申」の2字を百様の字体で刻んだ塔がある。縁起物の風呂敷に「寿」をさまざまな形に書くと同じ筆法で、書家が腕をふるって楷書体や行書体、あるいは草書体や隷書体で100の「庚申」を書いた雅味のある塔である。
前記以外で文献から集めた庚申系の塔には「御大典記念庚申」「五庚申」「五庚申 七庚申」「七庚申 五庚申」「七庚申供養 五庚申供養」「七庚申 五庚申 供養碑」「六庚申」「六庚申供養」「六庚申塔」などがみられる。
文字塔においても「青面金剛」や「青面金剛明王」、あるいは「青面王」などのように、主尊の尊名を刻むものがみられる。青面金剛については、他にも「正面金剛」「焦面金剛」「青面金剛菩薩」「大青面金剛」「青面金剛尊」「青面金剛塔」「青面金剛供養塔」「青面金剛王」「青面金剛王塔」「大青面金剛王」「青面金剛妙体」「庚申青面金剛」「青面庚申」「青面尊」「清明金剛」など変化がみられる。
三尸系の文字塔もあり、「三尸塔」「絶三尸罪」「三尸去」「庚申〓屍去」「除三虫碑」「三屍蟲降伏」「三屍蟲降伏之碑」「庚申自三屍蟲降伏碑」などが知られている。
青面金剛以外にも、たとえば帝釈天では、「帝釈天」や「帝釈天王」「帝釈尊天」「南無妙法蓮華経帝釈天」「奉待帝釈天」「帝釈天擁護庚申塔」、別名の「釈提桓因」などがあり、猿田彦では「猿田彦」「猿田彦神」「猿田彦大神」「申田彦大神」「猿田彦命向」「猿田彦大神宮」「猿田彦太神祝日」猿田彦太神祭祝日」「奉勧請猿田彦太神」「日月星庚申猿田彦尊」などがある。「山王大権現」や「道祖神」などの主銘も尊名の例である。また「南無阿弥陀仏」の六字名号や「南無妙法蓮華経」の題目を彫ったものある。
先に挙げた「五庚申 七庚申」のように併刻した塔があるが、「庚申」と他の信仰との組み合わせて併刻した塔がみられる東京都多摩地方の場合をみても、町田市野津田・綾辺の「青面金剛/堅牢地神/地蔵菩薩」嘉永6年塔や多摩市東寺方の「庚申塔/地神塔」慶応3年塔などがある。他所には庚申と巳待や甲子などいろいろな組み合わせがみられる。