庚申塔物語

さまざまな猿

さまざまな猿

庚申塔に彫られている猿では、一猿・二猿・三猿・四猿・五猿・九猿・十猿・郡猿がみられ、圧倒的に三猿が多い。一猿の場合には、主尊として登場するし、一鶏を伴って下部に刻まれることも多い。主尊として知られているのは、先に挙げた東京都狛江市元和泉・泉龍寺の貞享3年(1686)塔で、『日本石仏図典』の99頁に紹介されている。

多摩地方に分布する一猿を表示すると、次の通りである。

No. 年銘 西暦 主尊 塔形 所在地 備考
1 寛文13年 1673 一猿 光背型 三鷹市牟礼1-2旧在 寄贈
2 延宝8年 1680 (文字) 光背型 調布市入間町1-34
3 貞享3年 1686 一猿 光背型 狛江市元和泉 泉龍寺 着衣帯冠
4 元禄13年 1700 一猿 板駒型 三鷹市牟礼1-6 区境
5 宝永7年 1710 (文字) 笠付型 町田市森野5-9 路傍 風化
6 享保8年 1723 地蔵菩薩 丸彫 町田市南成瀬7-20路傍 台石
7 享保14年 1729 青面金剛 板駒型 調布市国領町5-37路傍 上部欠
8 年不明 - - 一猿 板駒型 三鷹市牟礼6-1火見下 下部欠
9 年不明 - - (文字) 柱状型 町田市成瀬 東雲寺 剥落

2は、中央に御幣を持って座った一猿を浮彫りして主尊とした庚申塔で、近くの世田谷区給田の観音堂に延宝8年塔がある。新宿区には、こうした御幣を持つ一猿立像の塔が2基あっが現在はない。僅かに武田久吉博士の『路傍の石仏』にその塔が載っている。

5は、日月の下に「妙法蓮華経」の題目を刻み、下部に一猿を浮彫りしている。7は、合掌六手の青面金剛の下に不聞猿を浮彫りし、「庚申供養」の銘がある。

二猿は、庚申塔の造立以前から造られている。通常、向い会わせた横向きで拝む姿が多く、この形式のものを「日光型」あるいは「下野型」とか呼んでいる。多摩地方の表で示すように、弥陀合掌立像や弥陀定印座像を主尊とした懸仏で、正面向きの二猿や向かい合った二猿を鋳出している。

多摩地方の二猿は、懸仏を含めて表にまとめると、次の通りである。

No. 年銘 西暦 主尊 塔形 所在地 備考
永禄1年 1559 合掌像 懸仏 町田市上小山田町神明社 合掌猿
寛永5年 1628 弥陀定印 懸仏 八王子市南浅川町山王社 合掌猿
寛永11年 1634 合掌像 懸仏 町田市常磐町 山王社 合掌猿
1 正徳1年 1711 青面金剛 光背型 あきる野市乙津 神社 合掌六手
2 宝暦10年 1760 青面金剛 笠付型 檜原村千足 檜原神社 合掌六手
3 年不明 - - 青面金剛 光背型 檜原村千足 檜原神社 4手

「参」の3点は、いずれも庚申塔でなくて懸佛である。1は大戸里神社境内にあり、合掌六手の青面金剛の下で猿が手に蓮華を持って向かい合っている。2は、3不型の猿が2匹みられる珍しい二猿である。3の年不明塔も同じ所にあるもので、主尊が4手青面金剛と2の合掌六手とは異なり、主尊を間に挟んで向かい合わせの二猿がみられる。

山中共古翁は、庚申塔を「三猿塔」と称して、その著『共古随筆』の中に1章を設けている。三猿塔とは、庚申塔の異称としてふさわしくらいに、庚申塔と三猿との結びつきが密接である。庚申塔の魅力の1つに、猿の姿態の変化があげられる。庚申塔を知らなくても、みざる・きかざる・いわざるの3匹の猿が彫られている石塔だ、といえばわかるほどに、三猿は庚申塔のシンボルである。

東京にある古い庚申塔に刻まれた三猿は、お行儀のよい菱形である。しかし神奈川の三浦半島で見られる三猿は、早い時期から横向きになったり、足を伸ばしたりして自由な姿勢をしている。いわば東京のが楷書的あるとすれば、三浦のは草書的であるといえよう。東京でも時代が下ってくると、菱形のお行儀のよいのが崩れてきて烏帽子をかぶったり、狩衣やチャンチャンコを着たり、手に御幣や鈴、あるいは扇子などを持って、自由なポーズをするものが現われてくる。さらに塔や台石に桃の木にぶらさがる三猿や駒引きの三猿などが刻まれるものもみられる。千葉県野田市内にある庚申塔の猿は、変化に富んでいて面白い。

清水長輝氏が『庚申塔の研究』で記しているように、三猿の変化した種々相は、特に末期の塔にみられる。千葉県野田市内の塔には、種々の姿態の三猿を刻んだ塔が多く、変化に富んでいる。その例を大護八郎さんの『庚申塔』(新世紀社 昭和33年刊)にみることができる。

三猿は各地でみられるから、特に多摩地方に分布する変わった三猿をここで紹介しよう。変わり型の三猿は、大きく5つのタイプにわけられる。その第一は「桃木型」と仮に名付けておくが、桃の木の枝に三猿を配している。第二の形式は「桃木型」に対する「竹木型」で竹に三猿を配している。第三のタイプは、一匹の馬に三猿を配した「駒曳き型」と類別できる。第四を「扇子型」と呼ぶが、三匹の猿が扇子を持つタイプである。第五は、以上にあげた桃木型・竹木型・駒曳き型・扇子型の4種に属さない、さまざまなタイプの三猿で、ここでは「雑型」と呼んでおく。

多摩地方でも変わり型の三猿を示すと、次の表の通りである。

形式 No. 年銘 西暦 主尊 塔形 所在地 備考
桃木型 1 明和8年 1771 青面金剛 笠付型 八王子市上恩方町上案下 合掌六手
2 明和9年 1772 青面金剛 笠付型 八王子市南浅川町大平 合掌六手
3 安永2年 1773 青面金剛 笠付型 八王子市上恩方町醍醐 合掌六手
竹木型 1 安永2年 1773 青面金剛 笠付型 八王子市上恩方町駒木野 剣人六手
駒曳型 1 安永7年 1778 青面金剛 笠付型 八王子市長房町中郷 合掌六手
2 天明3年 1783 青面金剛 笠付型 八王子市下恩方町辺名 合掌六手
扇子型 1 文化2年 1812 青面金剛 雑型 青梅市千ケ瀬 宗建寺 剣人六手
2 文政6年 1823 庚申塔  自然石 青梅市黒沢1 野上指
3 文政9年 1826 青面金剛 駒型 青梅市成木6 慈眼院 剣人六手
4 弘化4年 1847 青面金剛 柱状型 あきる野市伊奈 山王宮 剣人六手
5 嘉永3年 1850 青面金剛 笠付型 小平市天神町 延命寺 剣人六手
雑 型 1 寛文10年 1670 青面金剛 柱状型 町田市相原町・大戸観音 2手
2 元禄X年 - - 青面金剛 光背型 羽村市羽東・禅林寺 4手
3 寛文10年 1670 (不明) 光背型 武蔵村山市岸・猿久保
4 年不明 - - (不明) 不明 町田市相原町 旧御殿峠 上欠

上記の桃木型と竹木型、それに駒曳型が八王子市内でみられ、扇子型が青梅市内とあきる野市、青梅街道沿いの小平にみられるのは、単なる偶然的な符合ではなく、おそらく石工の関係であろう。

なお青梅市大門・大門会館には、三猿がないが桃の木を台石に浮彫りする寛政6年(1794)文字庚申塔がある。稀に桃持ち猿の庚申塔がみられるが、こうした桃木型のものはあまり聞かない。

扇子型の三猿は、おのおのが手に扇子を持っていることから1つの形式とみることができる。神奈川県鎌倉市坂の下・御霊神社境内には、文政8(1825)年塔の台石に御幣や扇子型、拍子木を持つ着衣の三猿が浮彫りされている。また松村雄介さんが『相模の石仏』207頁に写真をのせた藤沢市本町・常光寺の文政6年塔台石には、3番叟を演ずる三猿が刻まれている。これに類する塔は、相模原市内にもみられる。

雑型の1は、塔下部に向かい合わせの三猿は、この頃江戸周辺にみられる正面向きで並ぶお行儀のよい菱形三猿(標準型)が多い中でユニークな存在である。2も肥えた向かい合わせの三猿を浮彫りしている。3は、横向きで1列に進む変わり種である。4は、向かい合わせの二猿の上に横向きの猿を置くもので、多摩地方には類例がない。

庚申塔ではないが、武蔵村山市中藤・日枝神社にある燈籠台石にこの系統(桃でなく松の枝か)の三猿がみられる。対の燈籠台石には、相撲をとる三猿が浮彫りされている。実際にみると、それぞれの変わり型が理解できる。

一般に庚申塔に刻まれた猿の性別は、はっきりしない。しかし、よく観察すると雄雌の別が明らかなものがある。東京都目黒区下目黒1丁目・大円寺の境内にある寛文7年塔の三猿は、向って右から雄・雌・雄の順に並んでいる。文京区や新宿区、江東区の塔の中にも雄雌の区別ができるもがあり、中に無性のものが混じっていたりする。

庚申塔の魅力は、主尊像や像容の変化、あるいはさまざまな塔形もさることながら、三猿の多様な姿態が見逃せない。三猿の姿態は、時代によって変化があるし、中には雌雄の明らかなものもある。こうした庚申塔の猿の姿態の変化を追って、写真に撮り、相互に比較するのも面白いものである。

足立区加賀2丁目の万治1年塔や江東区亀戸3丁目の龍眼寺(萩寺)の万治2年塔には、すでに雌雄の性別のある猿がみられるが、多くの庚申塔に見られる猿は、ほとんどが雌雄が不明である。しかし少ないながらも、多摩地方には次のように、雌雄の判別ができる三猿がみられる。

No. 年銘 西暦 主尊 塔形 所在地 備考
1 延宝2年 1674 青面金剛 笠付型 府中市南町6 郷土の森 剣人六手
2 享保7年 1722 青面金剛 駒型 多摩市乞田 剣人六手
3 天保4年 1833 (文字) 柱状型 立川市高松町2-39

1は、美好町3丁目・浅間神社境内から宮町の郷土館に移転し、さらに現在地に移された。猿が向かって右から雄・雌・雄の順に並んでいる。2は猿が右から雄・雄・中性の順である。3は、雌・雌・雄と順で猿が並んでいる。

庚申塔が刻像塔から文字塔に移行したように、三猿像の場合も、所によって短い時期であるが、文字化がみられる。東京都多摩地方では、日野市を中心とした地域に分布して顕著である。文字で表示した塔である。つまり三猿像を省略して刻像のかわりに「三匹猿」や「三疋猿」「参疋猿」、あるいは「申申申」の文字を刻んでいる。三猿の刻像が文字塔から消える時期に生まれた過途的な現象である。三猿を文字化した塔の分布は、日野市に8基分布する以外に、八王子市・多摩市・府中市・町田市にみられるが、数はいたって少ない。それらを一表にまとめると、次の通りである。

多摩地方における三猿の文字化
No. 年銘 西暦 三猿文字 塔形 所在地 備考
1 寛文13年 1673 申三疋 光背型 多摩市関戸798 二鶏三猿
2 安永8年 1779 三疋申 柱状型 日野市南平 八坂神社  屋号銘
3 天明8年 1788 三疋申 柱状型 日野市石田 石田寺
4 寛政3年 1791 三疋申 柱状型 日野市万願寺 斉藤家
5 寛政4年 1792 申申申 柱状型 日野市万願寺東浦地蔵堂
6 寛政6年 1794 三疋猿 柱状型 町田市真光寺 飯守神社
7 寛政8年 1798 〓匹猿 柱状型 多摩市関戸 熊野神社
8 寛政12年 1800 三疋申  柱状型 日野市日野万願寺稲荷社
9 文化1年 1804 三疋猿 柱状型 府中市住吉町 庚申堂 鳥居あり
10 文政5年 1822 三疋申 柱状型 日野市川辺・堀之内
11 嘉永5年 1852 参疋猿 柱状型 日野市日野万願寺稲荷社
12 嘉永6年 1853 三疋申 柱状型 日野市新井 新井橋
13 慶応3年 1867 申申申 柱状型 多摩市東寺方 杉田家
14 年不明 - - 三疋申 柱状型 日野市万願寺・三角
15 年不明 - - 三疋□ 台石 八王子市大幡 路傍

1は、主銘が「奉待庚申之人族七人」とあって、日月・二鶏・三猿の浮彫り像があるにもかかわらず、「申三疋鶏二羽」の銘が刻まれている。猿の文字化は各地でみられるが、鶏を「鶏二羽」と記したのはここだけである。多摩地方以外でも聞いたことがない。

この種の三猿の文字化は、次のように多摩地方以外でもみられる。

No. 年銘 文字 所在地
1 元禄1年 「申の形 申の形 申の形」 東京都目黒区中目黒5-6
2 万延1年 「不見申 不聞申 不言申」 群馬県板倉町石塚 浅間神社
3 明治29年 「ウウマイ キクマイ ミマイ」 神奈川県厚木市7沢・台
4 明治41年 「三猴」 東京都北区滝野川 寿福寺

他にも埼玉県和光市下新倉・吹上観音の中央を「不聞」とし、左右に「言」と「見」を配した例もみられる。多田治昭さんは岩手県の「聞申 見申 言申」、宮城県の「言申 聞申 見申」、茨城県や埼玉県の「猿 猿 猿」、栃木県の「口申 見申 聞申」「不言 不聞 不見」、埼玉県の「勿言 勿聞 勿見」「いハ申 きか申 み申」「莫言 莫聞 莫見」、千葉県の「言申 聞申 視申」などの実例を「庚申ファイル(4)」(『野仏』第34集所収 多摩石仏の会 平成15年刊)で報告している。

庚申塔といえば三猿が通り相場であるが、ごく稀にはそれより多い猿の浮彫りがみられる。以下、その例を示そう。東京都あきる野市伊奈・山王宮下にある弘化4年塔には、本塔の青面金剛足下の一猿と台石にある扇子型着衣帯冠の三猿と合わせて四猿となる。他に群馬県高崎市楽間町の延宝5年塔や同県群馬郡箕郷町下芝・庚申塚の宝永1年塔の報告がある。

五猿のものは、東京都東京都町田市広袴・天王山にある延宝5年塔に刻まれており、横向きの合掌二猿と三不形の三猿とが同居している。また岩手県水沢市の日高神社境内にある嘉永5年の自然石塔には、御幣を持った二猿と三不形の三猿の五猿が陰刻されていると、同県花巻市の嶋二郎さんから報告があった。栃木県には、いわゆる下野型と三不型三猿の組み合わせの五猿がみられる。

九猿は、千葉市花見皮区検見川・前勝寺にある延宝5年塔に刻まれている。塔の下部に1面に三不型の三猿が正面と両側面の3面のそれぞれ浮彫りされている。同様の3面に三不型猿を配する延宝8年塔が、同県八日市場市八日市場に存在する。

未見だが十猿の塔は、千葉県白井町神々廻・庚申塚の嘉永3年塔である。駒型文字塔の台石三面にみられ、正面に五猿、左側面に二猿、右側面に三猿の合計十猿となる。

神奈川県藤沢市江ノ島にある群猿塔は、三不型の猿を含む36匹の猿を浮彫りするので有名な年不明塔である。群猿のものは、神奈川県藤沢市江の島にあなに浮彫りされており、各書に紹介されて有名である。

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