これまで多摩地方に建てられた庚申塔の中には、風化したり、 何らかの事情(交通事故や道路拡幅工事など)で壊されたり、 あるいは心無い盗難によって塔が失われている。 ただ気をつけなければならないのは、塔が移動している場合がある。 たとえば八王子市高倉町・稲荷神社にあった寛政5年(1793)青面金剛塔は、現在、同市宇津木町・龍光寺に移された。 また同市東中野にあった青面金剛文化6年(1809)塔は、同じ東中野であるが場所を変えている。
市域の変更で所在が二重になる場合が生じる。 たとえば、町田市小野路・瓜生の青面金剛元文1年(1736)塔は、現在は多摩市に編入されている。 そのために亡失と間違われかねない。
狛江市元和泉2丁目の水神前にある寛政6年(1794)の青面金剛塔は、 盗難にあったが戻ってきたために再び盗難にあわないように 鉄棒で組んだ檻の中に安置されている(松浦伊喜三「狛江石仏探訪」『野仏』第2集所収)。 これなどは、盗まれたものが返ってきたからよいが、こうした事態がいつどの塔で起るかわからない。
秋川市内(当時)で行った昭和40年と昭和57年の調査資料を比較して、亡失の状況をみると、 4基(後述の3・6〜8)の塔が失われていた(『秋川市史』996頁)。 なお市史で「明治六年」のあるのは「明和六年」の誤植である。 これまで廻った庚申塔の中で、亡失した庚申塔の一部を挙げると以下のとおりである。 [表1]参照
No. | 年銘 | 西暦 | 中尊 | 塔形 | 所在地 | 備考 |
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1 | 延享5年 | 1748 | 青面金剛 | 笠付型 | 八王子市宮下町 | 合掌6手 |
2 | 明和1年 | 1764 | 青面金剛 | 笠付型 | 小平市御幸町 海岸寺 | 4手青面 |
3 | 明和6年 | 1769 | (文字) | 柱状型 | あきる野市引田 | |
4 | 寛政12年 | 1800 | 青面金剛 | 柱状型 | 武蔵野市境南町2観音院 | 剣人6手 |
5 | 文化12年 | 1815 | (文字) | 柱状型 | 羽村市川崎 庚申塚 | |
6 | 天保4年 | 1833 | (文字) | 自然石 | あきる野市瀬戸岡庚申塚 | |
7 | 明治2年 | 1869 | (文字) | 柱状型 | あきる野市引田 | |
8 | 年不明 | -- | (文字) | 柱状型 | あきる野市平沢 路傍 |
1の延享5年塔は、日月と三猿を伴う青面金剛の刻像で 「武州多磨郡宮之下村連衆十三人 寒念佛供養塔 延享五辰七月」の銘がある。 2の明和1年塔は、2鬼を伴う4手青面金剛の主尊が珍しい。 「明和元甲申天十一月吉日、講中 武州多麻郡下小金井新田 田中傳左□(等4人)、 是政 横山次□□、鈴木新田 山奈井勘□(等5人)、貫井新田 鈴木三良□□(等3人)」の銘を刻む。 3の明和6年塔は、「庚申塔」で昭和38年の調査当時も7と共に破損が甚だしかった。 4の寛政12年塔は、日月・1鬼・三猿を伴う青面金剛刻像塔である。
5の文化12年塔は、「庚申塔」の主銘と造立年銘が刻まれている。 6の天保4年塔は、「庚申」塔で「武州多摩郡瀬戸岡」の地銘がみられる。 7の明治2年塔は、「庚申塔」で昭和38年の調査当時も3折して破損がひどかった。 8の年不明塔は、上部に日月のある「庚申供養塔」である。