庚申塔物語

多摩庚申塔夜話

目次

第1部 庚申塔とその周辺
第2部 庚申塔と人と文献
多摩地方の文献一覧
あとがき

はじめに

庚申塔の調査を始めたのは、余りはっきりしないが昭和37年ではなかったかと思う。 初めから調査をしようなどという気がなかった。というのは、学生時代に陸上競技に熱中 してかなりハードなトレーニングにも耐えた。それが卒業と共にスポーツから離れ、体重 の増加につながった。

そうした時に始めたのがサイクリングである。毎朝1時間ほど自転車を乗り廻した。最 初はコースを変えて楽しんだが、毎日のこととなると、そうそう新しいコースがあるわけ ではない。そこでサイクリングを通じて双体道祖神を探そうと考えた。ところが、青梅周 辺には双体道祖神がなかったし、文字道祖神も見当たらなかった。

そうした折りに、たまたま青梅市勝沼・乗願寺の石段脇に庚申塔があるに気付いた。庚 申塔が何なのかわからなかったものの、三匹の猿がなぜか興味をひいた。それからは、サ イクリングに庚申塔探しを組み込んだ。都立青梅図書館で窪徳忠助教授(当時)の『庚申 信仰』をみつけ、青面金剛の存在を知り、庚申塔の知識も増してきた。

初めは、庚申塔をみつける度に地図に位置を記入する程度であった。それが清水長輝氏 の『庚申塔の研究』を神田の古書街で入手して、庚申塔の主尊の変化や地方色、他の信仰 との交流などを知って新たな刺激を受けた。だんだんと地図に記入する程度では物足りな くなり、庚申塔の調査に踏み切ったわけである。

やがて毎朝の1時間程度のサイクリングを兼ねた調査では、青梅周辺のかなり限られた 地域しか廻れないので、休日の1日を使って多摩地方と入間地方に範囲を拡げた。その調 査結果は、庚申塔資料として11集まで孔版印刷して発行した。ともかく東京オリンピッ クを目標に、多摩地方の庚申塔をまとめようとみようと考えて、その成果が昭和四十年に 『三多摩庚申塔資料』にまとまった。

月日のたつのは、実に早いものである。私が庚申塔を調べ始めてから、すでに35年に なる。短時間ながら、毎日のように調査に出掛けた熱中の時期もあれば、半年近くまった く調査をしなかった冷めた時期もあった。それにしても、我ながらよく続いたものだ、と 思う。その間には、実にさまざまな数多くの失敗を重ねてきた。そして、これからも庚申 塔の調査を続ける限り、失敗とは縁が切れそうにもない。

調査を始めたころの記録が今でも手元に残っているけれども、それを見るとずいぶん誤 りがある。現在ならば当然読める銘文を、当時は不明の「□□」としている。ヘンやツク リを置き換えた異体字(例えば「秋」をヘンとツクリを逆にしたり、「松」をヘンとツク リを上下にする)に出会って、読めなくてまごついた記憶も懐かしい。初めのころは、銘 文、特に種子の誤りが多い。そうした銘文判読の間違いはも調査を重ねることによって少 なくなったし、慣用的に使われる偈などは、不明や欠字の部分も推定できるようになって きた。

これまで『稿本青梅市史』を始めとして『青梅市の石仏』や『青梅市史』『秋川市史』 『八王子庚申塔略史』など市域範囲でまとめたことはあるが、多摩地方全域にわたるもの は、先の『三多摩庚申塔資料』や平成になってから発行した『東京多摩庚申塔資料』や『 東京多摩庚申塔DB』の資料集である。部分的に『庚申』の「三多摩の猿田彦塔」や「数 字からみた庚申塔」「東京都の弥陀刻像庚申塔」、『日本の石仏』の「東京都の庚申年造 塔」、『野仏』の「東京の観音庚申塔」、『武蔵野』の「グラフからみた多摩の庚申塔」 「都内庚申塔の種々相」「武蔵野の民間信仰と石仏」でふれた程度である。

調査資料を積み重ねておいても、それ自体は何も物語ってくれない。それから何を読み 出すかが問題で、私なりにこれまで調査してきた多摩地方の庚申塔を明らかにする時期に きている。そこで本書をまとめてみたわけである。

これまで多くの方々にご協力いただいた。一々お名前を挙げてお礼申し上げるべきであ るが、何分にも多数なので省略させていただいた。これをステップにさらに完成度を高め ていきたい。

平成9年8月25日 記

出典

Copyright © 2004 民俗の宝庫 All Rights Reserved.