庚申塔物語

庚申塔の移入

庚申塔の移入

亡失がある一方では、市外から移入された庚申塔がある 。青梅市内の場合をみても、青梅・津雲家の元禄9年(1696)塔、青梅・藤田家の元禄12年(1699)塔、 長淵・玉泉寺の年不明塔の3基である。 元禄の2基はともに青面金剛を主尊とする板駒型塔で、 長淵のは自然石に「庚申塔」の主銘を刻んでいる。 元禄9年塔は「武州豊嶋郡駒込村」の地銘から文京区本駒込か豊島区駒込から、 元禄12年塔は「武州豊嶋郡神谷村」とあるから北区神谷、 年不明塔は玉泉寺住職に聞いたところでは長野県から移されたという。

先に挙げた青梅市内の塔を含めて、次の塔が多摩地方以外から移入された。 [表1]参照

表1.多摩地方以外から移入された庚申塔
No.年銘西暦中尊塔形所在地備考
1明暦2年1656(文字)層塔調布市深大寺元町2群馬県
2寛文2年1662地蔵菩薩光背型昭島市拝島町 普明寺目黒区
3元禄2年1689青面金剛板駒型日野市程久保 長楽寺新宿区
4元禄2年1689青面金剛板駒型日野市程久保 長楽寺新宿区
5元禄5年1692(文字)板駒型小金井市桜町たてもの園台東区
6元禄9年1696(文字)板駒型小金井市桜町たてもの園台東区
7元禄9年1696青面金剛板駒型青梅市青梅 津雲家文京区
8元禄12年1699青面金剛板駒型青梅市青梅 藤田家北区
9元禄13年1700青面金剛笠付型長房町廾里 白山神社練馬区
10元禄13年1700(文字)板駒型小金井市桜町たてもの園台東区
11年不明--(文字)自然石青梅市長淵 玉泉寺長野県

1の明暦2年塔は、庚申層塔の多い群馬県内から移入したと思われる。

2の寛文2年塔は、目黒区内から移された地蔵主尊の塔で、「奉供養庚申講中為二世安楽也」の銘がある。

3の元禄2年塔は、日月と三猿を伴う合掌6手の青面金剛で、「鈴木重蔵」など6人の施主銘を刻む。 次の4と共に、常楽寺の移転に伴って新宿区内から移入されたものである。

4の元禄2年塔も、日月と三猿を伴う合掌6手の青面金剛で、 銘は「奉勧庚申講衆念願成就攸 開眼長宥敬白 弓削田玄悦(等12人)」である。

5の元禄5年塔は、主銘の「奉造立庚申供養堂」の上下に日月と三猿を配し、 「荒井勘左□□」などの6人の施主銘がみられる。

6の元禄9年塔は、「庚申供養堂」の下に三猿を浮彫りし、 「中道之□」と「福田□□□」など6人の施主銘がある。 『武蔵野郷土館案内』(現在の江戸東京たてもの園)によると5と6、 後の10が共に台東区浅草石浜町3丁目・旧総泉寺墓地から出土したと記している。

7の元禄9年塔は、日月と三猿を配し、地銘の「武州豊嶋郡駒込村」がみられる。

8の元禄12年塔は、日月・1鬼・三猿を伴う青面金剛像で、 「バン 奉供養庚申現當安楽之所武州豊嶋郡神谷村同行女人廾七人 敬白」とある。

9の元禄13年塔は正面の上部に日月、中央に合掌6手の青面金剛、 その足下に1鬼、横に2鶏、鬼の下に三猿が浮彫りされている。 右側面には「ウーン 奉造立庚申像二世安楽祈所 元禄十三庚辰天十月廾五日」の祈願銘と造立年銘、 左側面に「武州豊嶋郡上練馬之内貫井村 結衆十五人」と施主銘が刻まれている。 地銘の「上練馬之内貫井村」からもわかるように、練馬区内から移されたもので昭和61年発行の『練馬の庚申塔』の92頁に載っている。

10の元禄13年塔は、主銘の「奉供庚申塔」に日月と三猿を配し、 「□□左衛門」など10人の施主銘がある。

11の年不明塔は、板石状の自然石に「庚申塔」と刻む。長野県内から青梅に運んできたという。

Copyright © 2004 民俗の宝庫 All Rights Reserved.