庚申塔物語

昭和庚申年の造塔

昭和庚申年の造塔

昭和55年は、60年に一度巡ってきた庚申年であった。 長野や新潟で庚申年に庚申塔を建てる風習がみられるのは、一般によく知られている。 昭和庚申年も例外ではなく、長野や新潟をはじめ全国各地で造立がみられ、 全国各地で約1,000基の庚申塔の造立があったと推定される。

これまでに私の手元に集まった資料を分析すると、分布が東北の青森・岩手・宮城・山形・福島、 関東の茨城・栃木・群馬・埼玉・千葉・東京・神奈川、 甲信越の山梨・長野・新潟、東海の静岡、中国の広島の1都17県に及び、合計塔数は813基を数える。 塔数の面からみると、長野と新潟の両県で79.3%、それに栃木を加えると89.9%で、 ほとんど上位3県で占められる。

多摩地方でも昭和庚申年に次の庚申塔が建立された。 [表1]参照

表1.多摩地方における昭和庚申年の造塔
No.年銘西暦中尊塔形所在地備考
1昭和55年1980青面金剛光背型武蔵野市八幡町 延命寺元禄9年
2昭和55年1980青面金剛笠付型武蔵野市八幡町 延命寺元文4年
3昭和55年1980(文字)柱状型瑞穂町箱根ケ崎 村山宅
昭和55年1980(文字)板石型町田市つくし野2庚申堂

1の昭和庚申年塔は、境内にある元禄9年塔の再建という形で、 庚申年を機会に旧塔を模して日月・一鬼・三猿を伴う合掌6手を刻み、 旧塔に刻まれている「奉寄進申庚供養」「元禄九子年十一月廾七日」の銘文を彫っている。

2の昭和庚申年塔も、同じ境内にみられる元文4年塔の再建で、 日月・合掌6手の青面金剛・一鬼・三猿の浮彫り、 「奉供養庚申待為講中二世安楽也」「元文四己未十一月十七日」の銘も旧塔を模造している。

3の昭和庚申年塔は、昭和55年2月に建立された「庚申塔」の文字塔である。 この塔の造立については、施主の村山美春さん(武蔵村山市文化財専門委員)が書かれた 「昭和の庚申塔建設の記」(同年発行の『多摩のあゆみ』第21号収録)に詳しい。

参の昭和庚申年塔は「宝やま神の恵みはおく深く 中より光る金之庚申」のご詠歌を刻んでいる。 以前は、このご詠歌を記した木の額が木祠に掲げてあった。 この北向庚申堂には、昭和33年に造立された合掌6手の青面金剛刻像塔(駒型)が安置されている。 塔の背後には「元文元年同行八人之ヲ建立 昭和三十二年十二月盗難ニ 遭ヒ昭和三十三年四月庚申 再建スル 中村氏子中」 と元文1年塔再建の由来が記されている。

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