庚申縁起には、「庚申の日は青面金剛を上首とし、大日如来阿〓宝生弥陀釈迦云々」とか、 「文殊菩薩・薬師如来・大日如来を本尊として、過去七仏をねんじ給ふべし」、 あるいは「庚申ノ表ヲ拝シ奉レバ三方荒神、御信躰ハ十一面観世音、内証ヲ尋奉ルニ金胎両部ノ大日ノ尊影也」のように、 大日如来にふれた部分がみられる(窪徳忠博士『庚申信仰の研究』)。 こうした庚申縁起がどの程度、大日如来主尊の庚申塔建立に係わりがあったのか明らかではないけれども、 造塔の背後に密教系の僧侶などの指導があったと思われる。 しかし後で述べるように、町田市図師町の元禄2年(1689)塔の場合には、 大日如来を青面金剛と誤解している節がみられるから、かならずしも指導者だけの問題でもなさそうである。
庚申塔の主尊が青面金剛に統一される過程で、いろいろな如来・菩薩・明王・天部などが登場している。 その多くは、第2期の主尊混乱時代に生まれている。大日如来もそうした時代に造像されている。 多摩地方でみられる大日如来は、次の町田市内にある2基が知られる。 [表1]参照
No. | 年銘 | 西暦 | 中尊 | 塔形 | 所在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 寛文9年 | 1667 | 大日如来 | 流造型 | 町田市三輪町三谷津 | 金剛界 |
2 | 元禄2年 | 1689 | 大日如来 | 笠付型 | 町田市図師町日向 | 金剛界 |
1の寛文9年像は、石祠内に安置された中尊で、智拳印を結ぶ金剛界の座像である。 石祠の外側には、ニ鶏と三猿を浮彫りし、「奉造立庚申供養二世安楽」の銘がみられる。
2の元禄2年塔は、やはり智拳印を結ぶ金剛界の立像を浮彫りする。 この塔には「奉造立庚申青面金剛尊」の銘がみられるから、大日像を青面金剛として造像したことになる。
町田市と境を接する横浜市緑区には、寺山町に元禄5年と享保6年に造立された金剛界大日立像の庚申塔2基があるから、 1や2と関連があるのかもしれない。