伝尸を駆除する青面金剛は、伝尸と三尸の関連から庚申信仰にとりいれられ、礼拝本尊に加えられた。 江戸時代に広く各地に普及し、庚申の本尊として定着する。 青面金剛の像容は、『陀羅尼集経』に説かれているけれども、現在各地でみられる刻像は、 儀軌に示されたニ童子・四薬叉を伴なうニ鬼上に立つ3眼4臂像とは異なっている。
庚申塔の刻像塔では、青面金剛が圧倒的である。 通常みられる像は、第1手に剣と人身を持つ剣人6手像か、第1手が合掌する合掌6手像である。 その他に第1手の持物の変化(たとえば索と蛇)を加えて6手像が最も多い。 しかし青面金剛の中には、2手・4手・8手の像がみられる。以下、順を追ってそれらの青面金剛をみていこう。
多摩地方でも剣人6手や合掌6手を含む6手像が圧倒的に多いが、次にみるように2手像が分布している。 [表1]参照
No. | 年銘 | 西暦 | 中尊 | 塔形 | 所在地 | 備考 |
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1 | 寛文6年 | 1667 | 青面金剛 | 光背型 | 三鷹市中原4 庚申祠 | |
2 | 寛文10年 | 1670 | 青面金剛 | 柱状型 | 町田市相原町 観音堂 | |
3 | 延宝4年 | 1676 | 青面金剛 | 光背型 | 調布市仙川町2 | |
4 | 延宝9年 | 1681 | 青面金剛 | 光背型 | 八王子市堀之内 保井寺 | |
5 | 寛保3年 | 1743 | 青面金剛 | 笠付型 | 檜原村下元郷 檜原街道 |
1の寛文6年塔は、一鬼・三猿・蓮華を配した2手像で「奉造立祈宝塔為庚申供養也」と「武〓玉 之郡中仙川村願主三十三人」の銘を刻む。
2の寛文10年塔は、下部に三猿を伴う2手像で、右手に持つ矛が錫杖にみえて一見すると地蔵風である。 造塔年銘の他に「奉念誦庚申之供養」の銘がある。
3の延宝4年塔は頂部に「バク」の種子、2手像右に「奉供養庚申一尊現世安穏後生善生所 欽」 左に年銘と「本願主順智法印 白」、下部に「持十郎」など8人の施主銘を刻んでいる。
4の延宝9年塔は、日月と三猿伴う2手像で「奉新造庚申尊一佛成就」の銘がみられる。
5の寛保3年塔は、合掌した2手像の上下に日月と三猿を浮彫りし「奉納庚申供養」の銘を彫る。 ここには、明和4年の「庚申塔」と刻む灯籠がある。
1・3・4の3基は、不動明王と同じ持物の剣と索を持つ2手像で、杉並区や世田谷区にみられる系統に属する。 2は、神奈川県愛甲郡愛川町や同県津久井郡津久井町に分布する2手青面金剛の系統の像容である。 なお津久井町には、それとは別の持物(剣と先に円をつけた棒)をとる2手像が2基みられる。 5は1から4までとは異質な合掌2手像で、多摩地方には3種の系統が混在する。
広域にわたる2手青面金剛の系統を知りたいのであれば、 「石仏研究の事例」(庚申懇話会編『石仏研究ハンドブック』所収)で扱った「2手青面の系譜」が参考になろう。 これは、千葉県・東京都・神奈川県・山梨県にみられる2手青面金剛を対象とし、 神奈川県下の大曲型4手青面金剛にもふれている。