庚申塔物語

線刻の青面金剛

線刻の青面金剛

通常みられる青面金剛像は、薄肉彫りとか厚肉彫りの違いがあっても浮彫りで、 さらに数は少ないけれども全体を彫りあげてしまう丸彫り(前項)、つまり陽刻である。 これに対して、線彫りのように塔面より彫り窪めた陰刻の青面金剛がみられる。 次の例である。 [表1]参照

表1.多摩地方にみられる線刻の青面金剛
No.年銘西暦中尊塔形所在地備考
1宝永5年1708青面金剛板駒型小金井市前原町5 墓地合掌6手
慶応1年1865青面金剛柱状型青梅市柚木町1 即清寺剣人6手

1の宝永5年塔は、合掌6手の青面金剛立像を線彫りし、像の右には「奉造立庚申并百万遍念佛供養塔」、 左には「干時宝永二戊子天 同行拾二人」、下部には「武州(異体字)多摩郡府中領」「小金井村」の銘文がみられる。

参の慶応1年塔は、正面に「山内新四国八十八箇所霊場」、左側面に「青面金剛」「山王権現」を並べて2行に刻み、 それぞれの下に像を線彫りする。青面金剛は立像で、山王権現は座像である。 右側面に「弘法大師」「興教大師」とあり、おのおの下に両大師の像を線刻する。 青面金剛像を刻みながら庚申塔でない例外的な存在である。

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