庚申塔物語

青面金剛の文字塔

青面金剛の文字塔

庚申塔には、刻像塔と文字塔がある。 青面金剛も刻像で表現されることもあるが、中には文字で示される場合がある。 そうした文字の青面金剛を次に挙げておく。 [表1]参照

表1.多摩地方にみられる青面金剛の文字塔
No.年銘西暦中尊塔形所在地備考
永禄2年1559(文字)懸佛あきる野市牛沼 秋川社
1延宝8年1680(文字)板駒型青梅市吹上 宗泉寺庚申年
2安永3年1774(文字)柱状型町田市下小山田町竜沢
3安永4年1775(文字)柱状型府中市白糸台5 八幡神社
4寛政4年1792(文字)柱状型東村山市久米川町 梅岩寺
5寛政4年1792(文字)柱状型日野市万願寺 地蔵堂申申申
寛政4年1792(文字)燈籠八王子市下恩方町 稲荷社
6寛政4年1792(文字)柱状型調布市深大寺南町3-16道標銘
7寛政5年1793(文字)柱状型青梅市藤橋 宝泉寺石橋供養
8寛政7年1795(文字)柱状型福生市熊川 路傍寄付銘
9文政3年1820(文字)柱状型あきる野市草花・森山寒念佛
10文政5年1822(文字)自然石檜原村事貫 旧分校山日月
11嘉永6年1853(文字)柱状型瑞穂町二本木 十字路角
12嘉永6年1853(文字)柱状型町田市野津田町綾部
慶応3年1867(文字)燈籠府中市住吉町1 庚申堂
13昭和2年1927(文字)柱状型立川市砂川町1 豊泉家
14年不明--(文字)自然石青梅市小曽木1 佼正会道標銘

参の永禄2年懸佛に薬師如来や文殊菩薩などのいろいろな佛・菩薩の尊名がみられるが、その中に「生面金剛」とある。 生面金剛=青面金剛であろう。多摩地方で最も早い青面金剛の登場である。

多摩地方の初期に造立された青面金剛の文字塔は、1の延宝8年塔で上部に「イ」の種子があり、 「青面金剛」を刻んで下部に三猿がある。 刻像塔でも町田市の場合、図師町日向路傍にある金剛界大日像の元禄2塔に「奉造立青面金剛尊」、 真光寺の三叉路にある地蔵像元禄2年塔に「青面金剛明王諸大眷属」、 木曽町・観音堂にある弥陀合掌像の元禄9年塔に「奉供養庚申青面金剛塔二世安楽也」というように、 青面金剛が普及しなかった頃には「青面金剛」の銘文が刻像塔の塔面に刻まれている。

青面金剛が普及してくると、東村山市の場合にみられるように、 秋津町3丁目の柳瀬橋際にある宝永4年塔に「奉造立青面金剛塔惣供養攸」、 あるいは秋津町2丁目の肥沼家にある元文5塔に「奉造立青面金剛供養宝塔」の銘文が彫られるようになる。

青面金剛像が一般化して造立が多い時期には文字塔がみられないが、文字塔の比率の高くなってくると、 青面金剛の文字塔が増してくる。 2の安永3年塔は、正面に「ウーン 青面金剛」の下方の左右に「一謄一禧」「倶生浄土」の偈、 下部に三猿が浮彫りされている。

3の安永4年塔は、「バーンク 奉造立青百(面)金剛為二世安楽」とある。

4の寛政4年塔は、正面中央に「青面金剛王」の主銘を刻み、 主銘の左右に小さく「天下泰平」「五殻成就」の銘がみられる。

5の寛政4年塔は、上部に日月、中央に「青面金剛塔」の主銘である。 この塔に「申申申」が刻まれ、三猿の文字化がみられる。

参の寛政4年燈籠は、竿石に「献 青面金剛 山王権現」と刻まれている。

6の寛政4年塔は正面上部に日月、その下に「ウーン 青面金剛」、右側面に「右大さわみち」、 左側面に「左深大寺道」の道標銘がみられる。

7の寛政5年塔は、正面が「大青面金剛」で側面に「石橋七ケ所建立供養」の銘がある。

8の寛政7年塔は、上部の「キャ」の種子、主銘の「青面金剛」、台石に三猿が浮彫りされる。

9の文政3年塔は、主銘が「青面金剛」で寒念佛講中の造立である。

10の文政3年塔は、上部に日月を刻み、その下に「青面王塔」とある。

11の嘉永6年塔は、「青面金剛神」塔で、杉本林志翁の『百庚申巡禮記』には、 第51番に「二本木村上宿青梅街道十文字角 青面金剛神嘉永六未九月寄進上留村大野長五郎」と記録されている。

12の嘉永6年塔は、塔の1面に1種ずつ正面と両側面の3面に「地蔵薩〓」「堅牢地神」「青面金剛」と主銘の併記がみられる。 綾辺講中の造立である。

参の慶応3年燈籠は、竿石に「奉納 青面金剛」と刻むもので、西向庚申堂に奉納された。

13の昭和2年塔は、主銘が「大青面金剛神」である。

14の年不明塔は、自然石に「青面金剛 小布市」、 その下両脇に「右八王子」「左江戸道」の道標銘が刻まれている。

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