庚申塔物語

二鬼の庚申塔

二鬼の庚申塔

儀軌(大青面金剛呪法)によると「像両脚下各安二鬼」と説いているが、 青面金剛主尊の刻像塔では、1鬼が通例である。多摩地方の場合もその例に洩れない。 しかし数ある庚申塔の中にはニ鬼を浮彫りする塔もみられ、次にあげる例がある。 [表1]参照

表1.多摩地方にみられる二鬼の庚申塔
No.年銘西暦中尊塔形所在地備考
1明和1年1764青面金剛笠付型小平市御幸町 海岸寺現亡
2寛政8年1792青面金剛駒型町田市つくし野2-6合掌6手
3文化9年1812青面金剛雑型青梅市千ケ瀬6 宗建寺剣人6手
4文久3年1863青面金剛駒型東久留米市新川町2-5合掌6手
5明治32年1899青面金剛笠付型青梅市梅郷4  庚申堂合掌6手

ニ鬼の塔は初出が1の明和1年塔で、青面金剛の刻像塔の中では時代がくだっている。 この塔は、残念ながら現在みることはできないが、海岸寺の境内にあった。 主尊が4手の青面金剛でニ鬼が浮彫りされている。 下小金井新田や鈴木新田、貫井新田の施主によって建てられた。

2の寛政8年塔は、八代恒治さんの『三多まの庚申塔』7頁に図解がみられるもので、 鬼の首だけ2つ並んでいる。塔には、道標銘が刻まれている。

3の文化9年塔は、全国的にみても塔形が非常に変わっているもので、 青面金剛の脚下に2匹並ぶ鬼が足を前に投げ出している。 塔全体の彫りがよく、丁寧な細工である。

4の文久3年塔は、正面を向いて並ぶ鬼の外側の片腕がみえるもので、 前記の『三多まの庚申塔』7頁に図解がのっている。

5の明治32年塔は、側面の銘文によると寛永期の塔が明治27年の大火で失われたために再建したと記してるが、 元の塔はそれほど遡るとは思えない。青面金剛の足下に鬼の首が2つ並んでいる。

清水長輝氏は、鬼ついて板橋区板橋・観明寺の寛文1年塔や浦和市広ケ谷戸の寛文4年塔などの例から 『庚申塔の研究』の中で「一鬼が普通だが、儀軌どおり二鬼のものは古いものに多い」と述べている。 しかし多摩地方では以上にみたように、青面金剛の掛軸では多いが、ニ鬼の庚申塔は意外に少ない。 造塔の時期が青面金剛時代から文字塔時代に移行してから造られている点が注目される。

Copyright © 2004 民俗の宝庫 All Rights Reserved.