多摩地方では日野市を中心にみられるのが、三猿の刻像の代わりに文字で表示した塔である。 つまり三猿像を省略して「三疋申」とか「三匹申」「参疋猿」、あるいは「申申申」の銘文を刻む。 三猿の刻像が文字塔から消える時期に生まれた過途的な現象である。
三猿を文字化した塔の分布は、日野市に8基分布する以外に、 八王子市・多摩市・府中市・町田市にみられるが、数はいたって少ない。 多摩地方以外でも、たとえば東京都北区滝野川・寿徳寺の「三猴」や埼玉県和光市下新倉・吹上観音の中央に「不聞」として右左に「言」と「見」を配した例がみられる。 三猿の刻像と併せて、三猿の文字表示も興味がある。
三猿の文字を刻んだ塔を一覧表にまとめると、次の通りである。 [表1]参照
No. | 年銘 | 西暦 | 三猿文字 | 塔形 | 所在地 | 備考 |
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1 | 寛文13年 | 1673 | 申三疋 | 光背型 | 多摩市関戸798 | 三猿 |
2 | 安永8年 | 1779 | 三疋申 | 柱状型 | 日野市南平 八坂神社 | 屋号 |
3 | 天明8年 | 1788 | 三疋申 | 柱状型 | 日野市石田 石田寺 | |
4 | 寛政3年 | 1791 | 三疋申 | 柱状型 | 日野市万願寺 斉藤家 | |
5 | 寛政4年 | 1792 | 申申申 | 柱状型 | 日野市万願寺東浦地蔵堂 | |
6 | 寛政6年 | 1794 | 三疋猿 | 柱状型 | 町田市真光寺 飯守神社 | |
7 | 寛政8年 | 1796 | 三匹猿 | 柱状型 | 多摩市関戸 熊野神社 | 異体字 |
8 | 寛政12年 | 1800 | 三疋申 | 柱状型 | 日野市日野万願寺稲荷社 | |
9 | 文化1年 | 1804 | 三疋猿 | 柱状型 | 府中市住吉町 庚申堂 | 鳥居 |
10 | 文政5年 | 1822 | 三疋申 | 柱状型 | 日野市川辺・堀之内 | |
11 | 嘉永5年 | 1852 | 参疋猿 | 柱状型 | 日野市日野万願寺稲荷社 | |
12 | 嘉永6年 | 1853 | 三疋申 | 柱状型 | 日野市新井 新井橋 | |
13 | 慶応3年 | 1867 | 申申申 | 柱状型 | 多摩市東寺方 杉田家 | |
14 | 年不明 | -- | 三疋申 | 柱状型 | 日野市万願寺・三角 | |
15 | 年不明 | -- | 三疋□ | 台石 | 八王子市大幡 路傍 |
1の寛文13年塔は、主銘が「奉待庚申之人族七人」とあって、 日月・ニ鶏・三猿の浮彫り像があるにもかかわらず、「申三疋鶏二羽」の銘が刻まれている。 猿の文字化は各地でみられるが、鶏を「鶏二羽」と記したのはここだけである。 多摩地方以外でも聞いたことがない。
2の安永8年塔は、「庚申供養」の文字塔で施主に「打出屋内源平衛」の屋号がみられる。 3の天明8年塔は「庚申供養」、4の寛政3年塔は「ウーン 庚申供養塔」、5の寛政4年塔は「青面金剛塔」、 6の寛政6年塔と7寛政8年塔と8の寛政12年塔の3基は「庚申塔」、9の文化1年塔は「庚申供養」、 10の文政5年塔・11の嘉永5年塔・12の嘉永6年塔・13の慶応3年塔・14の年不明塔の5基はいずれも「庚申塔」、 15年の不明塔は「三疋□」と刻む台石だけが残っている。 いずれにしても、1を除いて青面金剛の刻像塔から文字塔に変わった過渡期に生じた現象である。