庚申塔物語

三年一座の庚申塔

三年一座の庚申塔

宇佐八幡宮が所蔵する『庚申因縁記』には「其日ノ精進ニテ可待一座ト云ハ、三年ニ十八度有也、 十八度ヲ一度モ解怠ナク守ヲ一座ト云也、此ノ一座ヲ守レバ、一切ノ願望、此内ニ成就セスト云事ナシ」と三年一座、 つまり3年間に18度の庚申待を行うことを説いている。

多摩地方にも三年一座を記した次のような塔がある。 [表1]参照

表1.多摩地方にみられる三年一座の塔
No.年銘西暦中尊塔形所在地備考
1正徳2年1712青面金剛柱状型あきる野市上代継真城寺合掌6手
2宝暦11年1761--宝篋印日野市下田 八幡神社三六度
3文化6年1809青面金剛笠付型八王子市東中野合掌6手

1の正徳2年塔は、刻像塔で「庚申尊像三箇年日待成就二世安楽所」の銘文がみられる。 「三箇年日待」は、3年間にわたった日待、つまり庚申待を続けた意味であり、「三年一座」を現している。

2の宝暦11年宝篋印塔に長い銘文が4面に刻まれているが、その中に「青面金剛三六度待」がみられる。 青面金剛を「三六度待」とは3×6度の庚申待を意味し、つまり「三年一座」を示した銘文である。

3の文化6塔は合掌6手の青面金剛刻像塔で「奉待六夜三年」の銘が刻まれている。 この銘文は、1年6回の庚申待を3年続けたことを物語っている。

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