庚申塔物語

百庚申の塔

百庚申の塔

数多くの石塔を建てる風習の1つに百庚申がある。群馬県下では特に盛んで、「百庚申」と一口にいっても、下記の3種がある。

  1. 百基の塔(多石百庚申)を造ったもの
  2. 一塔に「庚申」を字体を変えて刻んだ塔(一石百庚申)
  3. 単に「百庚申」と彫る塔

群馬県桐生市や栃木県足利市では「千庚申」と刻む塔をみたが、千庚申塔は多摩地方には存在しない。

多摩地方の百庚申は3.の単に「百庚申」と彫る塔で、1.の多石百庚申や2.の一石百庚申はない。 [表1]参照

表1.多摩地方にみられる百庚申の塔
No.年銘西暦中尊塔形所在地備考
1文化1年1804(文字)柱状型町田市小山町 宝泉寺詣百庚申
2万延1年1860(文字)自然石青梅市柚木町 即清寺百庚申
3万延2年1861(文字)自然石武蔵村山市本町 路傍百庚申

1の文化1年塔は、主銘に「奉詣百庚申供養塔」とあり、100基の庚申塔に参詣して造られたと 考えられる。埼玉県入間市小谷田には「庚申千社供養塔」と刻む安政7(1860)年塔がある。

2の万延1年塔と3の万延2年塔は、共に自然石に「百庚申」の主銘を刻んでいる。

 青梅市小曽木1丁目の市川家には、半紙4つ切り程の大きさに「嘉永元年戊申五月吉日 百庚申 願主 市川弥左衛門」」と墨書きした紙が残っているから、これを各地の庚申塔を参拝して貼ったも のかもしれない。
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