庚申塔物語

石橋供養と庚申塔

石橋供養と庚申塔

石橋を造るには費用も嵩んだと思われるが、その石橋が長く無事であることを祈願して石橋供養塔が建てられた。 庚申講が石橋を架けるのを助力した場合もあって、庚申塔に石橋供養の銘を刻むものがみられる。 多摩地方の場合、以下のように、参考の塔を含めて8基ある。 [表1]参照

表1.多摩地方にみられる石橋供養と庚申塔
No.年銘西暦中尊塔形所在地備考
1享保17年1732(文字)柱状型三鷹市牟礼1-8角題目
2享保19年1734(文字)柱状型府中市南町6 郷土の森三猿
宝暦7年1757(文字)柱状型三鷹市牟礼1-6 橋詰
3明和3年1766青面金剛柱状型三鷹市牟礼5-4角合掌6手
4安永2年1773(文字)柱状型小平市鈴木町 深谷家新田銘
5寛政5年1791(文字)柱状型青梅市藤橋 宝泉寺念佛講
6文化2年1805青面金剛柱状型府中市白糸台5合掌6手
7文化5年1808(文字)自然石青梅市勝沼 乗願寺寒念佛
8文化10年1813(文字)柱状型府中市小柳町 溝合神社石橋講

1の享保17年塔は、正面の題目の下に「庚申供養之所」の主銘を刻む塔で、 主銘の右に「奉建立石橋二所」とある。

2の享保19年塔は、「□申供養石橋」の主銘である。

次の参の宝暦7年塔は、柱状型塔の正面に「石橋建立供養之碑」の主銘、その下に長い銘文が彫られている。 その中に「今般當村中庚申講當□取立出銭仕云々」とあって、石橋建立と供養との関係を記している。

3の明和3年塔は、青面金剛の刻像塔で、右側面に「奉石橋供養」の銘がみられる。

4の安永2年塔は、主銘が「庚申供養橋」で、「鈴木新田」の地銘がある。

5の寛政5年塔は、正面に「大青面金剛」、 側面に「石橋七ヶ所建立供養 願主念佛講中 助力女念佛講中」と念佛講とも結びつきがみられる。

6の文化2年塔は、青面金剛刻像塔の右側面には「庚辛講石橋供養塔」とあり、 左側面には「念佛講中」の銘がある。

7の文化5年塔は、自然石に「庚申塔」の主銘で、 台石に「石橋供養 寒念佛講中 助力念佛」と寒念佛や念佛講中と関係が深い。

8の文化10年塔は、正面に「庚申石橋供養塔」とあり、右側面に「念佛講中 庚申講中」、 左側面に「石橋講中」の3つの講名が記されている。 5から8までの塔では、石橋供養と念佛講とが庚申塔で結びついている。

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