鈴木重光翁(故人)は、神奈川県における民俗学の大家であった。 戦後のように庚申塔の研究が進んでいない時期に「相州津久井郡の道祖神と庚申塔」を『民俗芸術』第5巻6号(民俗芸術の会 昭和7年刊)に発表されている。 立川の府立2中(現・都立立川高校)の出身で、『多麻史談』第2巻3号(多麻史談会 昭和9年刊)に「疣とその民間療法」が載っているように、 多摩地方とは関わりがあった。高校時代に机を並べていた鈴木重和さんの御父君とは後で知った。
重光翁とは2度お会いしたが、最初の時に記録して発表すること、資料の保存の必要性が大切だと教えられた。 私が庚申塔に関して書くようになったのも、重光翁の教えの影響が大きい。
先にふれた林志翁の項で杉本寛一氏の名前を挙げたが、 杉本氏も府立2中の出身で重光翁の後輩に当たり、郷土研究を通じて親交があったという。 重光翁を存じあげたことで、八王子市恩方町の調査では、塩田真八さんと話が通じて調査もスムーズにいった。 さらに埼玉県入間市の調査では、偶然訪ねた家が重光翁の娘さんの嫁入り先で、翁とのご縁で庚申講調査にご協力いただいた。