山上茂樹翁(故人)は、西多摩地方の郷土史の大家で、特に板碑や梵字に造詣が深く。 戦時中に梵鐘が供出される前に、西多摩地方の寺院を廻って梵鐘の拓本をとられた。 西多摩郷土研究の会(後に多摩郷土研究の会と改称)の創立に参画し、見学会の講師として活躍した。 友人の塩野半十郎翁(故人)と共に秋多町や秋川市(共に現・あきる野市)の文化財の保護に功績を残された。 稲村坦元翁や服部清道翁、金山正好氏(いずれも故人)などとも交遊があった。
多摩地方の各地を仕事や調査で廻られていたから庚申塔の分布にも詳しく、地元のあきる野市を始めとして、 周辺の日の出町や奥多摩町、檜原村の庚申塔についてはご教示いただいた。 私の西多摩地方の調査が進んだのも、山上翁の力に負うところが大きい。
山上翁は、秋多町役場(現・あきる野市)発行の『広報あきた』に第20号に「庚申の軸」、 第21号(共に昭和45年刊)に「庚申の由来」と庚申に関して書いている。 昭和45年に刊行された秋多町教育委員会編の『秋多町の文化財 三』は、町内(旧・秋川市)の石仏調査の結果が載っている。 この調査においては、山上翁の力が大きい。