庚申塔物語

武田久吉博士

武田久吉博士

武田久吉博士(故人)は、日本山岳会・全日本山岳連盟・日本山岳協会の各会長を務められ、 日本植物学会や日本山岳会の名誉会員だった方である。明治16年の生まれで、明治人の頑固さを持っていた。 反面ユーモアを解する方で、特に例会で聞いた「明和九年は迷惑な年で改元になった」が記憶に残っている。

博士は、登山の途中で見かけて石佛に注意を払い、調査をされていた。 特に博士の道祖神の研究は著名である。道祖神研究の創成期の昭和16年に『道祖神』を書かれ、アルス文化叢書として世に出た。 昭和18年に龍星閣から刊行された『農村の年中行事』と共に、博士の民俗学における地歩を固められた。 庚申塔に関しては、第一法規から昭和46年に『路傍の石仏』を出されている。

博士と私が初めて出会ったのは庚申懇話会の例会で、博士の晩年の時期である。 博士の容貌は、アーネスト・サトウの血を引いて日本人離れしている。 例会でお会いした第一印象は、何故か猿田彦を連想した。

晩年の博士とは庚申懇話会の例会でしばしばお目にかかっているが、 1度だけ八王子の庚申塔調査の帰りに京王バスの車中でお会いしたことがある。 多摩地方の庚申塔に関しては、博士は武蔵野文化協会から発行された『武蔵野』第42巻2号(昭和38年刊)に「上保谷の庚申塔」を発表され、 保谷市泉町2丁目の庚申祠にある正徳4年の青面金剛丸彫りを紹介されている。

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