大護八郎さんは、日本石仏協会の創立に尽力されて初代の会長を務め、現在は名誉会長職にある。 石佛の調査研究歴は古く、その足跡は全国各地に及んでいる。 昭和33年に小林徳太郎氏の写真で『庚申塔』を新世紀社から発行している。
大護さんは、多摩地方に限っていえば、『村山町史』(村山町史編纂委員会 昭和43年刊)や『清瀬市史』(清瀬市市史編纂委員会 昭和48年刊)の執筆・編集にかかわっておられたから、 書中で市(町)内にある庚申塔にふれている。
昭和42年に真珠書院から刊行された『庚申塔─路傍の石仏III─』では武蔵村山市峰の享保1年塔、 八王子市館町の貞享1年塔(大村稲三郎さん撮影)、町田市相原町中村の享保20年塔の写真がみられる。 『石神信仰』(木耳社 昭和52年刊)では、八王子市下恩方町駒木野の明和9年塔、 同市美山町辺名・金山神社の天明3年塔、町田市相原町中村の享保20年塔が記載されている。
昭和55年は庚申年だったので、日本石仏協会主催の夏期講座でも庚申信仰が取り上げられ、 3日目の午後に講座の講師を務めた平野榮次・清水長明・松村雄介の各氏と私が大護さんの司会で「庚申研究の現状と課題」のシンポジュウム行った。 庚申年特集の『日本の石仏』第16号(日本石仏協会 昭和55年刊)には、 この要約が「座談会 庚申研究の現状と課題」にのっている。