犬飼康祐さんは多摩石仏の会の初期からの会員で、特に庚申塔に興味を持たれている。 勤務地の関係から日野市内の庚申塔を調査され、 昭和47年に日野市教育委員会から『日野の石仏 庚申塔』、 翌48年に日野史談会の会誌『日野の歴史と文化』第6号に「『日野の石仏・庚申塔』その後」を発表している。 昭和57年には『日野市庚申塔一覧表』の私家版を発行、 日野市史編さん委員会の『日野市史 民俗編』(日野市 昭和58年刊)では庚申塔を含めた石仏を分担執筆している。
そうした関係で『野仏』でも、第5集(昭和48年刊)に「日野市に残る庚申講」、 第9集(昭和51年刊)に「日野市落川上河内の庚申会」、 第22集(平成3年刊)に「日野市日野・仲井地蔵堂 地蔵は二体とも庚申塔だった」を発表している。
犬飼さんは、八王子市に住まわれているから八王子に関するものもみられる。 第16集(昭和61年刊)の「同じ石工が彫った庚申塔」や第20集(平成1年刊)の「石川日記にみる庚申講」である。 八王子といえば、今は無くなってしまったが、 都立八王子図書館が発行した『都立八王子図書館報』に「八王子の庚申塔」を10回にわたって連載した。 第87号(昭和49年刊)が「馬のついた庚申塔」、第88号が「庚申塔の造立」、 第89号(以上昭和50年刊)が「せざる庚申塔」、第90号が「峠の庚申塔」、 第91号(以上昭和51年刊)が「富士山のついた庚申塔」、第92号が「三尸銘のある庚申塔」、 第93号(以上昭和52年刊)が「ドクロの首飾りをつけた青面金剛像」、第94号が「青面金剛真言の庚申塔」、 第95号(以上昭和53年刊)が「蛇を持った青面金剛」、第96号(昭和54年刊)が「桃の木のついた庚申塔」である。 これらをまとめて平成8年に『八王子の庚申塔』として私家版で発行されている。
平成8年に三鷹市教育委員会から刊行された『みたかの石造物』は、犬飼さんの調査によって完成したものである。 その調査の過程でえられたのが、『野仏』第26集(平成7年刊)に発表された「三鷹市北野庚申堂 庚申待」である。
また犬飼さんは、多摩石仏の会会報『あしあと』に発表された例会記録を『私の「あしあと」1』と平成1年の未発表分を加えた『私の「あしあと」2』の2冊、 さらに多摩石仏の会例会参加記録を平成2年分の『同 3』、3年分の『同 4』、4年分の『同 5』と続けて平成9年に私家版で刊行した。 今後、この続編が発行されて多摩地方の庚申塔の状況が記されていくことだろう。