房園敏子さんは、昭和55年が昭和庚申年であったので、 東京区部に散在する庚申塔から主な塔100基(実際はそれより多いが)選び、 撮影・執筆されて昭和56年に個人誌『その』第5号に「東京市内百庚申」を掲載された。 主眼が23区の庚申塔だから多摩地方の塔については、 東村山市久米川町の三叉路にある安永8年の馬頭観音を主尊とする駒型1基にふれているに過ぎない。 後に掲げた多田さんの『三多摩の百庚申塔』と併せて東京都の庚申塔概況を知るには都合がよい。
昭和55年は、60年に1度の庚申年であったので、この年を期して全国各地で庚申年の造塔がみられた。 東京都でも、大田区1基・世田谷区1基・武蔵野市2基・瑞穂町1基の庚申塔が建立されている。 この年の造塔については、私も『日本の石仏』第39号(日本石仏協会 昭和61年刊)に「昭和庚申年の全国造塔数」、 同誌第74号(同会 平成7年刊)に「続昭和庚申年の全国造塔数」を発表している。