庚申塔物語

寛文の庚申塔

寛文の庚申塔

多摩地方にみられる寛文年間(1661〜1673)に造立された庚申塔は、 次の表に示す通り13基である。 [表1]参照

表1.多摩地方における寛文年間の庚申塔
No.年銘西暦中尊塔形所在地備考
1寛文2年1662地蔵菩薩光背型狛江市岩戸北4 慶岸寺
2寛文2年1662地蔵菩薩光背型昭島市拝島町1 普明寺移入
寛文2年1664(文字)流造型青梅市青梅 山王社室部欠
3寛文4年1664地蔵菩薩光背型稲城市東長沼 常楽寺
寛文4年1664三猿燈籠清瀬市中清戸 日枝社
4寛文5年16656字名号板碑型武蔵野市吉祥寺 安養寺
5寛文6年1666地蔵菩薩光背型小金井市貫井南町 泉園
6寛文6年1666地蔵菩薩光背型小金井市中町4 金蔵院三猿
7寛文6年1666弥陀来迎光背型調布市深大寺東町諏訪社
8寛文6年1666青面金剛光背型三鷹市中原4 庚申祠2手青面
9寛文9年1669大日如来流造型町田市三輪町三谷津中尊
10寛文10年1670青面金剛柱状型町田市相原町 観音堂2手青面
11寛文10年1670三猿板碑型青梅市黒沢1 小枕
12寛文13年1673(文字)光背型多摩市関戸 
13寛文13年1673一猿光背型三鷹市牟礼1旧在

1の寛文2年塔は、前項最古の庚申塔で紹介した地蔵庚申である。

2の寛文2年塔は、地蔵庚申で先の庚申塔の移入でふれた。

参の寛文2年石祠は、亡失した室部には「実護庚申不〔疑〕 〔実〕多残餘共□」 の銘文が刻まれていたと『青梅郷土誌』に記されている。

3の寛文4年塔も、1と2と同じ地蔵庚申で、「長沼村下新田」の 「念佛供養想衆十人 庚申供養想衆七人」によって造立された。

参の寛文4年燈籠は、竿石に「奉納山王御寳前諸願成就也」と刻まれ、 下部に三猿の浮彫りがみられる。 他に「右石燈爐拾一人者寄進之」とあって「下清戸邑 横山五良兵衛」など10人の記名がみられる。

4の寛文5年塔は、板碑型塔の中央に「南無阿弥施佛」の六字名号を刻み、 その下に「甲辛」「供養」の2行があって、布施彈正など36名の施主銘が記されている。

5の寛文6年塔は、滄浪泉園にある地蔵庚申で「奉納謹庚申講之也」の銘がみられる。

6の寛文6年塔は、同じ小金井にある地蔵庚申で「奉納庚申供養二世安楽所」の銘があり、 下部に三猿がある。

7の寛文6年塔は、「奉造立庚申」の銘に来迎院を結ぶ阿弥陀如来の立像、その下に三猿を浮彫りする。 これまで地蔵庚申とみれてきたが、ここには延宝4年の弥陀来迎立像の庚申塔があるし、 この塔には「念佛女人同行十人」、延宝塔には「女同行拾□」と共通する銘がみられる。

8の寛文6年塔は、剣と索を持つ2手立像で「奉造立祈宝塔為庚申供養也」の銘と 一鬼・三猿・蓮華を配している。

9の寛文9年石祠は、祠内に智拳印を結ぶ金剛界の大日如来座像の中尊を安置し、 石祠にニ鶏と三猿を配する。

10の寛文10年塔は、主尊が2手青面金剛であるが、 8の杉並や世田谷に分布する系統とは異なり神奈川県愛甲郡愛川町や津久井郡津久井町にみられる2手青面金剛の系統に属する。 なお津久井町には、これと異なる2手の系統がみられる。

11の寛文10年塔は、板碑型塔の上部に三猿を置き、「小兵衛」など12人の施主銘を刻す。

12の寛文13年塔は、「奉待庚申之人族七人」の主銘に日月・ニ鶏・三猿を伴っている。

13の寛文13年塔は、一猿を浮彫りし、施主銘を刻む。

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